新しい扉
三田九郎

同人誌を作りたい。詩を書いて欲しい。載せて欲しい。僕の詩に心を留めてくれて、そう言ってくれる人に出会った。こんなにうれしいことはない。新しい扉が開かれたような、そんな気分だ。

病気になって、心を病んで、これからどんなふうに生きていったらいいのかぜんぜんわからなくなってしまったとき、僕は詩のようなものを書き始めた。誰にも言えない。でも吐き出さないと本当に気が変になってしまいそうだった。どんなにぐだぐだであっても、今日一日、あと一日を生き延びるための唯一の救いを、僕は書くことに求めた。

書くようになって、詩に関心を持つようになった。けれど、文学的素養など微塵もない僕にとって、世間に名の知れた有名な詩人の詩は、クエスチョンマークがぽこぽこ頭に浮かぶだけの、なんとも不可解な、よくわからないものがほとんどだった。

お前にはわからないかもしれないけど、詩ってこういうものなんだよ。お前の書いているものなんか、詩とは呼べないんだよ。そう言われているみたいで、悲しい気持ちになった。

それでも、書かずにはいられない状態は続いたから、書き続けてきた。詩なのかもしれないし、詩じゃないのかもしれない。でも、そういうこと以前に、書くことで救われる、そのことが僕にとっては重要だった。自分が書いているものがどんなジャンルに組み込まれることとなるのか、それは二次的なことに過ぎないはずなのだ。

救われるために書いてきたものを、あるとき、他人にも読んでもらいたいと思った。何か感じてくれる人がいたら、感じたことを教えてくれる人がいたらうれしいだろうなと思った。自分自身を救うために、書き始めた。書き続けてきた。書くことで、確かに僕は救われてきた。書くことは孤独な作業だし、僕の場合、その目的も単に個人的なもの(自分自身を救うため)だったはずだが、あるとき、他人は、どんなふうに受け止めてくれるのだろう。ある頃から、そう思うようになった。

同人誌を作りたい。詩を書いて欲しい。載せて欲しい。そんなふうに言ってくれる人がいるという、そのことが単純にうれしく、ありがたい。詩を書くことで、僕はその人に出会えた。僕はこれまで詩を書くという行為そのものに救われてきたけど、詩を書くことを通じて生まれた出会い、そこから始まる同人誌づくりという活動に、また新しい救いを見い出すことができるのかもしれないと思っている。

詩を書く。詩を通じて人と出会う。新しい活動が始まる。始めることが、別の始まりを呼ぶ。何にせよ、始めないことには、始まらない。書くことで僕は、ただ救われているというだけでなく、生きていくうえで大切なことを学ばせてもらっている気がする。


散文(批評随筆小説等) 新しい扉 Copyright 三田九郎 2013-03-17 06:00:38
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