被災地はいつもそこにある
小川 葉

 
 
どうもよくわからないのは、これ見よがしに、被災地の追悼式に来ました、とか言ってる連中。まだなにがあるかわからないんだから、そんなに被災地に人が集まっちゃったら、またたまたま大地震がきた時に、迷惑なだけだろ?どうも自己アピールするために、被災地を利用してるようにしか見えないんだよな。
震災後も、徹夜で仕事してる人がいるのに、職場にボランティアに行きたい、なんて言ってるやつがいて、耳を疑ったものだよ。
助けるべき人はいつも自分のそばにいるもんなんだ。それがまったく目に入らないんだよね。ほんと不思議。
おれは津波被災地に一度も行こうとは思わなかった。また何かあった時に、ぜったい迷惑になると思ったから。でも仙台を去る前、友人に、一度は見ておいた方がいいと言われて連れていかれた。
見たところでどうしようもないなと思った。おれにも助けるべき人がいる。その人を捨ててまで出来ることは、そこにほとんどないように思った。
だから、秋田に帰った。おれの故郷はここだからだ。震災の被害はなかったけど、雪害という災害が、毎年かならずある。それで死ぬ人も少なくない。
西日本では、毎年台風による洪水で、多くの人が亡くなっている。
都会では、毎日のように残業、徹夜して、助けを求めている人もいるだろう。過労死する人もいるだろう。
そういう人を助けてやれよと、おれは言いたい。そういう身近な人を毎日のように追悼しろと。
それは被災地の追悼式に参加することよりは、地味で目立たないことなんだろうけど。
助けを求めている人は、いつも自分の、すぐそばにいるものだ。それが見えなくなったら、ちょっと変なことなんだ。
そんなおれも雪かきは大嫌いで、やりたくねーと思いながら、泣きながらやってるんだけどね。よくサボって、怒られているよ。
 
 


散文(批評随筆小説等) 被災地はいつもそこにある Copyright 小川 葉 2013-03-11 21:31:33
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