書店に詩を
深水遊脚

 詩集が書店にない。そんな嘆きをまた読んだ。それがいまの人びとの詩に対する無関心を証明するものだとは私は思わない。売る側にとって、ただ単純に、売りにくい。それだけのことなのだ。お店の構成としては、雑誌コーナー、新刊小説エッセイ、ビジネス書、趣味の本、文庫と新書。書店によっては短歌、俳句、宗教本、そして哲学書、そのあとに詩が来るかもしれない。前のほうに書いてあるものほど誰に売るかが明確で、商品のライフサイクルも短い。誰かが買ってくれる確率が高いのだ。よほど規模が大きい書店でない限り、誰が買うか見当も付かない商品を大量に仕入れて在庫にするわけには行かない。

 詩は誰に売れるか、誰が読むのか分からない。そのように書店が考えているのならばその考えを変えさせよう。すなわちめいめいが自分の好きな詩集を近所の書店に発注して、取り寄せてもらえばいい。1ヶ月に1回、2000円前後。詩が好きな人に呼びかけてみて、全国の人が一斉にそれを始める。そんな客が「継続的に」何人かでる書店がいくつかでてくれば、その書店のいくつかでは詩の品揃えも変わってくるかもしれない。販売実績は、具体的で説得力を有した消費者ニーズとして書店の経営者に伝わり、書店の経営者がそれをもとに商品の構成やレイアウトの変更をする決断をするかもしれない。

 ひとりでも始めるといいと思う。




 この呼びかけの落とし穴1。「めいめいが自分の好きな詩集を」ではますますターゲットがはっきりしない。それらの詩集の特徴や読者の属性から何らかの公約数をとろうとしてもまず無理。商品にじかにふれてみようと熱心な販売員が思ったとして、期待に胸を膨らませた彼が、それをみたあとで落胆と共に売ることを諦めたとしても決して彼を責められない。
 だからといって「好きな詩集を」の部分は譲ってはいけない。書店に考えを変えさせよう、という人がもし本気で「好きな詩集を」発注しないならば、その真剣さはきっと伝わらないのだ。詩を読む人の模範的な振る舞いなどいらない。ただの変な本の愛好家として1ヶ月に1冊、買い続ければいい。


 この呼びかけの落とし穴2。「好きな詩集」をどのように探す?買わずにそれを判断できる?毎月毎月何を買うか、そう明確に決められる?そもそも情報は?信頼できる批評は?レビューは?アクセス可能性は?ねえ?ねえ?ねえ?ねえ?ねえ?
 雛鳥かおまえは!ここにアクセスして、投稿数も獲得ポイント数も最下層の私の散文なんかわざわざ読んでいるあなたは相当の情報通のはず。好きな詩人の一人や二人頭に浮かばないわけがないし、影響を受けてきた詩人もいれれば相当数に上るはず。大好きだけど実は図書館で読んで済ませた、とか、同世代のこの詩人知り合いだけれど、本もらったから買わなくていいや、とかそういうのがあれば、同じ詩人のどの作品でもいいから身銭を切って手にしてみてしゃぶり尽くして骨だけにしてみればいい。その詩人がいけ好かない人間なら読んだ後ほんとうに焼却するのもいい。
 あとは詩の雑誌。これも経営厳しいに決まっているのだから興味あるならちゃんと買うといい。ある月のものだけ買ったとしても、詩集に関する情報はわんさか載っているはず。
 自分が本当に欲しいものは何か。1ヶ月に1回くらい明確にしてみるのも悪いことではないと思う。



 この呼びかけの落とし穴3。金がない。

・・・・・・・・・無理はしなくていいよ。このサイトで好きな詩をみつけたほうがいい。自分が好きな詩が多い作家をみつけたら、そのひとのおすすめリストをたどってみるのも面白い。究極の理想として、書店が詩の品揃えを競うとしたら、こんなふうになるのではないかと思う。一つのアカウントを一つの書店名とすると、膨大な詩からどれを拾って揃えてきているか。陳列された詩をつづけて読んでみて関連する何かを見出すかもしれないし見出さないかもしれない。これが書店の品揃えと決定的に違うのは、なぜか一度付与したポイントを取り消すことが、技術的には簡単だけれど心理的にとっても難しいこと。だからリストアップされる詩はものすごく多くなるけれど。それはそれで楽しめると私は思うけれど、情報過多でまいってしまう人は出てくるだろうと思う。



 この呼びかけの落とし穴4。AMAZON経由で買えば手っ取り早い。

 そう、目指している方向性が正しいかどうか。つまり町の本屋さんに詩集が並ぶことを目指すべきなのかどうか。今後、電子書籍も増えてくるかもしれないし、詩が電子書籍に向いているという指摘もあるし。単価が低かったり値引率が大きかったりすると、支払ったお金がちゃんと作家に行くのだろうかと不安になることもあるけれど。



 ほかにもきっと落とし穴はあると思う。思いついたらポイント要らないのでコメント欄で書いて欲しい。



 何が欲しくない、という声はそれこそ溢れかえっている。奇妙なことに、何が欲しい、という声はあまり見られない。いや、言いきるのは怖いな。きっと見逃しているのだ。詩に関する気になるマイナス要素の一つ「書店に詩集がない」をどう解消するか、私なりに考えたのがこの散文。これに対して昔話をしてお茶を濁すのは簡単。「ぽえむぱろうる」という書店のあった幸せな時代を私は生きてきた。いまでも都市部の大型書店を探せば詩集の品揃えのいい書店はいくつか見つかるだろう。あるところにはある、という話をして安心してもらったとしても、いつそれが失われるかわからない。それがある根拠はあまりにも薄弱だから、なくなるときは簡単になくなる。なぜ薄弱なのか。それは発信がないから。



 あなたは何が欲しいですか。


散文(批評随筆小説等) 書店に詩を Copyright 深水遊脚 2013-02-15 17:38:33
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