まど・みちおに関する短い散文
……とある蛙

まど・みちおノート1

「うたをうたうとき」

うたを うたうとき
わたしは 体をぬぎます

体をぬいで
心 一つに なります

心一つになって
軽々 飛んでいくのです

うたが行きたいところへ
うたよりも早く
                           
           そして
            後から たどりつく うたを
            優しく 迎えてあげるのです

          うたを うたうとき
          わたしは 体をぬぎます

          体をぬいで
          心一つになって
          軽々 飛んでいくのです
  
(第二詩集「まめつぶうた」より)
                               
 この詩は信長貴富、木下牧子、松下耕など現代を代表する合唱曲の作曲家が曲を付けております。総じて優しいメロディーであって、歌詞と相俟って歌を歌う者なら全て(つまり人間のほとんど)実感できるすばらしさ感動を伝えてくれます。
  しかし、この詩はメロディーと必然的に結びつくことはありません。それでも十分鑑賞に堪えるものであり、且つ深い感動を読み手に与える得る詩です。
 まど・みちおは「ぞうさん」あるいは「やぎさんゆうびん」の作詩者と言うだけでなく、詩も書いていると言うことはこの歌を木下牧子作曲の歌で知って初めて気づかされました。
 その後、自分自身が詩を書き始め吉野弘のエッセイ集「酔生夢詩」の中で「まど・みちお全詩集の刊行に寄せて」という一文でまどみちおと言う人が戦争に深く傷ついていたのだと言うことを知らされました。

 まど・みちおの師は北原白秋とされています(そんなに深い関わりがあるわけではないと思いますが)。白秋はご存じかと思いますが「少国民にささぐ」等戦争協力詩を積極的に書いたことでも知られています。まどさんは吉野弘さんによると二編ほど戦争協力詩を書いたとされています。そのあたりのことは佐藤通雅さんの「詩人まど・みちお」に詳しいのですが、戦争に関して六編ほど書いており、最後二編が戦争協力詩に括られるとされています。まどさんの心の中を示していると考えられるのは、むしろ、最後の二編の直前、一九三八年に書かれた「夜行軍」という詩に現れていると考えられます。

「夜行軍」

こごる、こごる、こごる
星が、兜が、耳が、

おもる、おもる、おもる。
銃が、背嚢が、靴が。

あるく、あるく、あるく。
脚が、剣が、中隊が。

つづく、つづく、つづく。
闇が、息が、地面が。

ない、ない、ない。
声も、灯も、自分も。

みえる、みえる、みえる。
古里(くに)が、母が、旗が。

すすむ、すすむ、すすむ。
前へ、闇へ、敵へ。

 行き先も教えられず歩き続ける夜行軍の状況が二行ずつの連の連続によって重くのし掛かってくる詩です。夜行軍している人たちのほとんど真っ白な頭の中に浮遊している言葉の断片が詩になっているとさえ言えます。厭戦気分が横溢している詩だと言えます。
ところが、そのすぐあとまどさんは戦争協力詩を書いております。公的状況という時流に流されるぐうたらな人間であった と全詩集のあとがきで告白しています。
 私には戦後五〇年も経ち、もう記憶の彼方に消えていたであろうたった二編の詩のために記念すべき全詩集のあとがきにこの事実を触れることも驚きです。
 また、同時にまどさんは基本的に人間と生き物を区別せずに命を大事にする気持ちに変わりはなかったとも言っています。
 非難されてもしょうがないというスタンスで自分のいたり無さを告白しているのだと思います。
 終戦当時の戦争に協力した多くの詩人と呼ばれる人たちがどれだけ自分を精算したのでしょうか、それを考えるにつけても胸が痛みます。

 しかし、彼は戦後、冒頭に引用したような詩などすばらしい詩を多数発表しており、また日本人の財産になるような素晴らしい童謡をたくさん書いております。そして、一〇〇歳を超えてまだ存命されていることを私は大変嬉しく思っております。


散文(批評随筆小説等) まど・みちおに関する短い散文 Copyright ……とある蛙 2013-01-22 11:41:57
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