やがてぼくの言葉は誰にも通じなくなるだろう
ホロウ・シカエルボク



やがてぼくの言葉は誰にも通じなくなるだろう
ぼくだけの洞窟の奥へと入りこんで
そこから何処へも出て行かなくなるだろう


ぼくは生まれた時から、なにもかもに納得していなかった、いのちの命じるままにわぁんだのうわーだのえーんだのと喚いては、くちびるにしっくりくる言葉を探していた、暖かい布にくるまれて、ベビーベッドに寝かされ、天井では妙な音のするガラガラが回り続け、両親や親族以外の得体の知れない生き物が時々ぼくのことを覗きこんでにやにや笑っていた、ぼくは定期的に我慢出来なくなって泣き叫んだ、すると母親は自分の乳房や、面倒な手順を踏んでぬるくした粉ミルクの入った哺乳瓶をぼくの口に突っ込んだ、おれはなんでこんなものを食っているんだ、そう思いながらぼくはいつもげっぷが出るまでそれを飲み込み続けた、粉ミルクを飲んだあとはわずかに人工的な感覚が神経を騒がせた、腹が減ったときとおむつが濡れた時以外はほとんど寝ていた、だけど夢を見ることはなく、自分がいる世界の音をずっと聴いていた、それは頭の中で鮮明な映像になって、ぼくはベビーベッドに寝ながらにして様々な世界を見た、そうして不安になった


この世界に、ぼくの生きる場所はあるのだろうか?


小学校低学年の頃、ぼくは喉の奥を絞めて変な鳥の鳴き声のような高い声を出すことを止められなかった、いつからそれが始まったのかまるで思い出せないが、それはいつしかみんなが知ってるぼくの癖になっていた、みんなが止めなさいと言ったけれど止められなかった、その声を出していないと落ち着かなかった、何度注意されても授業中に鼻歌を歌うことが止められなかったり、両手の親指の爪の表面を歯で削り続けたりした、睫毛を抜くのが止められなかったり、虫歯の穴に研いだばかりの鉛筆の先を突っ込んで血が出るまでほじくった、給食の時間には牛乳を飲むためのストローの包み紙を、むしゃむしゃと食べたこともあった、友達が面白がって、ストローの紙がぼくのところにたくさん集まって、ぼくはそれを全部食べて先生に叱られた、ひとつの動作に夢中になると、それをやり続けていなければ落ち着けなかった、そんなとき、図書館にあった本の中にチックという言葉を見つけた、これはまさに自分のことだと思った、授業中に口笛を吹くのを止められなくて悩んでいる男の子の話が書いてあった、ぼくは自分もきっとそうなのだろうと思ったが、そのことは誰にも言わなかった、だけど友達だっていたし、好きな先生だっていた、ぼく自身は訳の判らないことばかりしていたけれど、それでもまあ幸せな子供時代だったと思う、みんなと楽しく遊ぶことが出来てさえいれば、誰にも排除される心配なんかなかった


中学生になってもおかしなことばかりしていた、休み時間になると廊下で両膝をついたまま、はしからはしまでを何度も往復した、ほかのクラスの女の子にハイハイマンってあだ名をつけられた、授業中に突然机に頭を打ち付けたりした、相変わらず友達は何人かいたけれど、中学校はもう異文化だった、ほとんどの人間はぼくのことなんか好きにならなかった、ぼくは彼らに興味なんか持たなかったから、彼らはぼくのことを変わり者だと思って距離を置いた、ぼくも自分でそうだと思っていたから彼らに馴染もうなんて微塵も思わなかった、そのころ初恋があったけれどそれは同じ小学校から知っていた子だった、ふたりの女の子に告白されたけれどまったく興味が持てなかった、ひとりとは数度の手紙のやり取りに終わり、もうひとりは友達とつるんでかなりしつこくしてきたから面倒になって約束をすっぽかしてどういうことかとかかって来た電話でいい加減にしてくれと言った、彼女は傷ついただろうけどぼくはもううんざりだったんだ


高校生になると周辺は整髪料と軽いメイク道具と隠れて吸う煙草とベトベトの分泌液の臭いでいっぱいになった、制服を祭の衣装みたいにして登校してくるやつがいっぱいいた、みんな反逆のヒーローを気取っていたけれど、それが本当の反逆なら私服で来るべきだとぼくは思っていた、ぼくは制服には一切手をつけなかった、店で買ったままの学ランとストレートのズボン以外は着ることはなかった、襟の内側に付けるプラスティックのカラーは割れてしまうと首の皮を挟んでうっとうしいから外すようになり、襟元に付ける校章はすぐに失くしてしまうから付けなくなったけれど、それは反抗でも何でもなくて、ただぼくの必要に応じて変更された事柄に過ぎなかった、反抗なんかに興味はなかった、本当の反抗は学校に属さないことだとわかっていた、そのころになるとぼくには、そんなに多くの人間とは仲良く出来ないことがわかっていた、そしてずっと考えていた、自分がやるべきことはことはここにはなにひとつないって、でもじゃあほかになにをすればいいのかなんてわからなくて、しかたがないから万引きをした、なんでそんなことになったのかわからないけど、たぶん気まぐれみたいなもんだった、結構たくさんやった、意外と簡単なんだなとぼくは思った、だけどもちろんそんなわけはなくて、あるとき初老の警備員に腕を掴まれた、あのとき蹴っ飛ばしておけばよかったんだと今でもちょっと思う、ちょっとだけだけど、まあとにかくぼくは派出所に連れていかれて、殺風景な椅子に座りながら、ああおれはやっぱりちょっとおかしいんだななんて考えていた、父親はぼくを殴ろうとしたけど酒を飲み過ぎて最初のパンチを空振りした、高校生活の思い出なんてそんなことばかりだった、バカみたいな恋をふたつばかりした、社会人劇団に入りたいと言ったら親父に足の爪が割れるくらいあれこれやられて、一週間くらい家出したこともあった、やりかえさなかった、やりかえす気はまるでなかった、それでぼくは劇団に通うことを許されて家に戻った、演劇をしてるのは楽しかった、今にして思えば、ぼくはそのころから、いやもしかしたらもっと若いころからずっと、言葉が作りだすリズムが好きだったのだ、高校は止めた、二年の終わりに留年が決まって、親父にどうするって聞かれて止めるって答えた、止めてどうするのかなんて少しも考えちゃいなかったけれど、それでもそのまま通い続けるよりは多分マシなんだろうと思った、ぼく以外の人間はみんな深刻にしていたけれど、ぼくにとってはそんなに重要なことじゃなかった


誰かになりきって舞台で演じるのはとても気持ちが良かった、お客さんのリアクションが良かったときなんかそれだけで有頂天だった、でもすぐに物足りなくなった、そこには何かが足りない気がした、ぼくはぼくなりに考えた、形式的なお約束は一度無視してみるべきだ、それで僕は劇団を止め、自分で台本を書き、劇団で出来た彼女に手伝ってもらいながら何本か短い芝居をやった、それはとても楽しかった、きちんと褒めてくれた人も何人かいた、だけどお客さんは少しも入らなかった、当時はパソコンなんか持っていなくて、チラシやチケットを印刷屋さんに頼んで二〇〇枚作ってもらったりして、そんなことまでしても客入りは二日間で五三人だった、印刷代には七万円かかった、そのころロックシンガーがひとり謎の死を遂げた、若者の代弁者だなんてテレビでは言われてた、彼は誰かを代弁したことなんて一度もなかったのに


台本をいくつか書いている途中でぼくは文章を書く楽しさに目覚めた、しきりに書いていると次第に身体が熱くなってきてすらすらと言葉が浮かぶのが気持ち良かった、ぼくは詩や小説を書き始めた、小説は何作か賞と呼ばれるものに送ってはみたけれど、それは箸にも棒にもかからなかった、一度だけ箸にかけてくれた出版社があったけれど、そこは何年かして詐欺で潰れた、


携帯電話を持つようになってからぼくは、とあるサービスを使って自分のホームページを持ってそこで詩を書き始めた、書いたその日に反応があることがすごく面白かった、一日に何度も詩を書いた、仕事はしたりしなかったりだったので、すぐに料金を払えなくなった、そのころはパケット定額なんてなかったのだ、請求額が三万円を超えた月なんかもあった、ぼくは出来る限り詩を書いて過ごした、と言っても当時のホームページの掲示板には文字制限があって、五〇〇文字以内でおさめなければならなかった、ぼくには相当なストレスだった、



それからもう十年以上も経っている、携帯はスマートフォンになり、パソコンだってデスクトップのそこそこいいやつを持っている、そしていまだに詩を書いたり小説を書いたり、お客の入らない朗読会をしたりしながら、十年前よりずっと少なくなった仕事になんとか飛びついては日々をしのいでいる、いまでも納得のいかないことや、どうしてだろうと思うようなことはたくさんあるけれど、いまではそれらを突き詰めるよりは泳がせておくことの方が大事だとわかっている、知らなかったいくつかの土地で詩を読み、友達と呼べる詩人も何人か出来た、地元でもふたつくらいの詩のサークルとつるんではみたけれど、そんなにたいしたところじゃなかった、ぼくの詩は変わらないようで結構変わり続けていて、数年前に書いたものの中にはいまじゃ朗読会ではちょっと読みたくないような詩なんかもあったりして、それでもぼくは書き続け読み続けている、ぼくの詩はもうなかば日本語ではなくなっていて、ぼくという民族だけが話す独自の言葉のようになっている、それは必要な変化であり、必要な進化なのだ、だから、日本語しかわからない人たちとはすれ違うことが多くなった、ぼくはすれ違うことがとても得意なのだ、劇団で知り合った彼女とはいまでも付き合っている、たぶん彼女はこの変りものがくたばるまでずっと見ていてくれるだろう、そしてぼくはいまでもすれ違っている、ぼくの心がすっぽりと収まる居心地のいい場所はまだなかなか無くて、それはもしかしたら一生見つからないのかもしれないけれど、そんなことについてあれこれと悩むよりは、やるべきことを自分なりにこなしていくことの方が大切だって今はわかっている


やがてぼくの言葉は誰にも通じなくなるだろう、ぼくだけの洞窟の奥深くまで入り込んで、そこから絶対に出てくることはないだろう、それはぼくの人生の終わりであり、そのギリギリの瞬間まで、いやもしかしたらなにもかも終わったそのあとでも、




ぼくはなにかを書き続けていることだろう


自由詩 やがてぼくの言葉は誰にも通じなくなるだろう Copyright ホロウ・シカエルボク 2012-12-16 20:50:40
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