自殺志願の犬
梅昆布茶

彼はどちらかといえば
常識的な犬であった

子犬の時代には無邪気さがそのまま
天衣無縫な彼らしさとして愛された

けれど訓練士によって人間の基準を
与えられた代わりに彼は常識的な成犬になった

かつてきらきらしたりぱちぱちはぜたり
ぴいぷう吹いたりして彼を喜ばしてくれたものたちが
なんだか遠ざかっていってしまって

ただ彼はそれがなんであるかを認識し
表現するための言葉をもたなかった

そこはかとない哀しみだけが
月の綺麗な夜にはながく尾を引く遠吠えとなって
そらを駆けるのだ

つぎにくるものを待っていた瞳には
懐旧という色がにじみだしてときにからっぽの
食事の皿の上をさまよった

僕は彼に言った

どうせ死んでしまうのに迷うことなんて無いさ
単に早いか遅いかの違いがあるだけさ

君はかつて無垢な心で世界を感受していた
真実を直感して生きていた筈さ

いちいち理由をつけなくても
物事は向こうから種をあかしてくれただろう
あるいは種なんていらなかったんだ
君という自由な規範があったんだもの

君は河原を駆け回るのが好きだった筈だ
好きなことには理由なんて要らないんだ
ただ喜びに飛び込めばいいだけなのに

人間の教える常識なんて曖昧でどうでもいいことが多いのさ
かたくなにそれをしょいこんではいけないのさ

まるで鎧のように理由だけで自分を満たしてはいけないんだ

大好きなものにレッテルを貼ってはいけないんだ
そのレッテルはいずれ剥がれなくなってしまうんだもの

どうせいつかは死ぬんだから
もう少しいきてみればいいさ

なにものにもレッテルを貼らずに
いずれにしてもだめもとなんだからさ

彼がなんとこたえたかはさだかでない
あるいはその失踪は

彼がかれであるための旅というこたえであったのかもしれない






自由詩 自殺志願の犬 Copyright 梅昆布茶 2012-12-07 22:31:30
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