インド人 吉田  (後)
salco

 吉田朝足氏はきのうきょう来日した帰化人ではない。
 築二十七年の邸宅は、バブル高騰の直前に七千八百万円で購入した。

 それでテニスコートもプールもないのか。
 と、訪れた親族を次々に絶句させたのは確かである。 
 なかなかいい家だ、それで隣は貸しているのかと次兄は訊いた。
 人口密度の為に土地が高価なのだと説明しても、父は周囲の畑を顎で示し
て納得しない。向き直って母は、直接交渉して少し買い足したらどうなのと
言った。
 売らずに耕作を続けているのは税金対策みたいよと妻が言えば、ジャパニ
の政府はクレイジーだと弟は憤った。
 さんざん評価を聞かされたのか、長兄は何も言わなかった。ただ地下ガレ
ージの勾配には驚いたようだ。帰ってから義姉に「かわいそうに、あいつは
家で追突事故に注意を払っている」とこぼしたそうだ。

 このように三歩で庭が尽きる建売りであれ、今に至るも大きな修繕を要し
ていない。南欧風屋根瓦に燦然とBSアンテナがそそり立つ横には、緑青も
ゆかしい鋳鉄の風見鶏が真東にくちばしを向けている。

 短日に終ったとある政権下では隣のおじいさんが閣僚となり、一夜にして
その門前に警官の詰め所ができた。
 スツールもない素通し便所のような小屋はバッキンガムパレスの衛兵がい
るようで、半年間は空き巣の心配をせずに済んだものだ。畑中の夜道がいさ
さかの活況を呈したのは、仕事帰りの女性達が迂回路としたからであった。
 しかし台風だろうと大雪だろうと微動だにせず立っている。
 傘がダメなら使い捨てカイロはどうか。と妻に問えば、日本のオフィサー
は物質的ねぎらいは一切受けぬ決まりなのだから、彼を煩わせてはいけない
と諌められた。では急をもよおした場合はどうするのだと訊けば、そのよう
にルーズな自己管理はしていない筈だが、腰の無線で交代を呼ぶのだろう、
と。職務とはいえ気の毒で落ち着かず、ちょっとした夫婦喧嘩も憚られて正
直、ストレスではあった。


 あっという間に過ぎ去った、しかし二十七年は長い歳月である。
 さしたる行政手腕を国民に示すことも、また赤絨毯を子孫に残すこともな
く元大臣はとうに物故し、向かいの野菜畑には建ぺい率でバブル絶頂期より
悪辣と言える分譲価格の三層ペンシルハウスが八棟。立錐の余地ないその日
照権に三方を塞がれた二階建てコーポラスは価値が一気に下がって、不定期
的に阿鼻叫喚を轟かす夫婦が出た後は、東南アジアからの出稼ぎ労働者がし
じまに楽しげな帰宅の談笑を響かせ、今は誰が住むのか終日ひっそりしてい
る。
 この家も子供達がいた頃は、九月半ばには出窓いっぱいのハロウィーン、
十一月にはクリスマスオーナメントで歳時記をさきがけたものだった。
 そんな行事もしなくなって久しい。億劫な齢になり、娘と息子が各々の巣
でかわいい孫達の為に引き継いでもいる。つつがなく霜降りのふた親はプレ
ゼントを携え、一夜を招かれる客人となった。
 今、窓辺には捨てそびれたキティちゃんやらミニカーやらを並べている。
たまに埃を払われるだけの、こうして思い出ばかりが堆積して行く。しかし
それこそは不確かな人生の確かな血肉であろう。塵埃とは違うのだ。

 アッサンターリはガードレールに腰かける。
 十分も歩くと息切れがするのだ。長年の糖尿病が腎臓から心筋に来て、昨
年末手術をした。食事制限で八キロほど落としたが、膝も痛い。息子に託し
た会社に顔を出すのもやめ、散歩だけを日課にしている。生きている内だ、
と思っている。
 この十年、葬儀で帰った祖国が二度遠のいた。父母のいない故郷は変わら
ず豊かで苛烈に美しく、変わらず子孫を住まわせたくない矛盾の腐臭に満ち
ていた。
 胸を引っ掻く寂莫に打ち沈んでも詮方ない、自分もそんな齢になったとい
うだけのことだ。いずれこの地に骨を埋めるだろう。

 遺灰は悠久のガンガーに、と迷わないではない。
 まだそんな情景を想像する時がある。今のところはこの世で最も愛した者
らの傍に肉体の残滓を置いてもらいたいと、そんな気持の方が強いだけで、
もっと年を取ったなら変わって来るだろうか。
 いや、頭が幼児返りでもせぬ限りは変わるまい、という気もしている。何
故ならここまで生きて来て、自分の死生観を左右するのは結局、ダルマ(法)
の充足よりも後悔の多寡であるに違いないという実感がある。これは、個人
の情実よりもヴァルナの義務貫遂を優先すべしとするバガヴァッド・ギータ
ーに反する考えではある。
 視えぬからこそ神々を信じ崇める意識は、しかし現世の自分に在るのであ
り、不可知の輪廻転生、あるいは今生とそれらを連絡させる橋も確信という、
やはり個人の選択的思想でしかない。
 この、体内の結石のごとき信仰が前世から用意されたものであれ、生育環
境に持たされたものであれ、それが教えるところの自己存在理由を第一義と
し、他の一切を現象と見做す、そんな無執着には至れそうもないのだ。
 もし、自分のアイデンティティーが教義と我執とに引き裂かれる時が来る
としたら、自分はちっぽけな方を選んでしまうだろう。もう誰も失いたくな
い。家族の誰より先に逝きたい。わたしは現世の全てが愛おしい。


 このように現世利益を重んじる多くの日本人同様、インド人の吉田氏も己
が宗教に固執しない。所謂おふくろの味への切なる郷愁は別として、三十余
年も異土に起居していれば、強い香辛料より五目煮やら揚出し豆腐やらが団
らんの副菜ともなっている吉田氏ではある。
 無論、その根は母国である。一日たりとも忘れた事はなく、切り捨てた覚
えもない。ゆえにこそ生涯肉食と飲酒をせぬのと同様、こうして庚申塚に通
い頭を垂れてマントラを唱える。

 ここは移り住んだ翌年か、風邪で寝込んだ妻の代わりに娘を幼稚園のバス
に乗せた帰り、脇道の誘惑で見つけた。
 コンパクトな景観を目まぐるしく変える経済大国の住宅街で、こんな些細
な石碑が守られている。健気なスプレーマムやカーネーションの供花もまだ
新しい。無力なほどに真摯な祈りにも、幸福の尺度にも、なるほど文化や国
民性の別などありはしない。
 後日見て来てもらうと、馬頭観音を祀る民俗的な仏塔で、碑の横腹には寛
政六年の建立と刻んであるのがわかった。日本語の辞書で調べてもらうと二
百年前、見かけほどは古くなかったのだが、馬頭観音のサンスクリット名は
ハヤグリーヴァ、何とヴィシュヌの異名であった。

 吉田氏は両肘を直角に曲げて瞑目し、盆でも抱え持つような姿態と声量に
通行人が目をくれるほど一心に、その長い脚と不釣り合いなほど太い胴を折
ってしばしの時を勤行する。有と無、生と死、空と地のあわいで独り神々に、
感謝をあるいは贖罪を、何であれ今日も捧げている。
 祈りというよりこれは一つの対話、人間の敬虔という自然調和の姿であろ
う。こうして彼は完全無欠のインド人である。

注釈
バガヴァッド・ギーター … 神話「マハーバーラタ」の一部




散文(批評随筆小説等) インド人 吉田  (後) Copyright salco 2012-11-28 00:36:44
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