剰余のゲファーレン
青土よし




1.

 過剰な喪失感に苛まれている。神を宿して居ても、先天的敗北者は苦しみ続けねばならない。嘆かれなかった感傷が、秋の空を曇らせていくように。希望は砕かれるためにあるのだろうか。真実は歪められるべく我々を試すのだろうか。夜に輝く星座の名前を知っていても、それを伝える相手が今ここに居ないのならば、光はまっすぐに夢の中へと墜落し、またしても目覚めは遠ざかるばかりである。天使は不眠症で、自傷癖があった。そして、宇宙で最も正確な図形で以て、私の生を破壊した。破片は焼かれて灰と化し、害虫どもに食い荒らされた。百通りの不幸に嘲笑せられても尚、何が不足していると言うのだろうか。柔らかい壁に爪を突き立ててみるが、破れること無くうつくしさは保持される。心地好い風が、赤い花びらを暗闇へ導く。かけがえの無い季節が、あたためられずに打ち捨てられる。
 崇高性の形式は、視線の無化によって喚起される。生命の脱力が、太陽を更に神的なものへと誤読する。自意識を超越した行動の否定は、自意識の否定より残酷な痛みを生む……。やがて、願望のすり替えによって、世界は不気味に蠕動し始める。斯くも無垢に、甘美に、憂鬱に。消費されるのは期待だけでは無いし、囁かれるのは性行為だけでは無い。可視化された個体は、ある限定された哀切ですらありうるからだ。或いは絶念の真後ろにこそ、最良の落涙が提出されるのかも知れない。いずれにせよ、あなたがこれらを何と呼ぼうと、私は抱擁によって歓迎するだろう。



2.

 思考は憂鬱に向かってのみ開かれている。残虐行為の連続と、宗教経験の断絶。柔らかさと喜悦の為に開催される殺人ショウは、あなたの右目を厳重に保護する(それも、破格の値段で!)。観衆は、あらゆる否定に絶叫する。これらの死に意味は無い、あなた方がどう感じようとも。沈黙は加速度的に抽象化され、感官は憎悪のメタファーとして放置される。崩壊によってしか創造されない理解であるならば、ピストルは常に私を撃つべく存在するだろう。選択は「自らの手で」、裏切りは「愛する者の足で」。価値の鬱積と無価値であることの傲慢さとが、切り取られた背景画像の中で蠢き、CDは二番目のトラックを飛ばす。衣擦れの響きがマッチしない。賢い猫のうつくしさが、私を引っ掻く。そして、それは常識をスライドさせる。編まれるのは、正常だけではないのだ。病人をリンチする自称・太陽。やがて病状は極夜を目指す、そこにすべての無関心があると信じて。
 優しさは、翌朝、カタルシスの姿となって隣で寝息を立てる。ピーナツ・アレルギーのキス。死という未来に向けて生きる我々の性質に反して、これらの弁解は過去を投射する。というのも、これらはあなた方に何ら新しい発見を齎さないからだ。ただ既知の感覚・既成事実を展示し、乾からびた火傷の痕を疼かせる、神話上の野獣である。


自由詩 剰余のゲファーレン Copyright 青土よし 2012-11-11 01:55:44
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