本と神田とジジイ
ドクダミ五十号

 あのですね「救荒食物便覧」と云う書物がありまして、恐ろしく高価だったです。
なんでそれを読まねばならなかったか。其れについて少しばかり述べましょう。
わたくしは小学校入学以前の年齢であったと記憶しておりますが、母親の実家に
連れられて行ったわけです。寝台特急などは高すぎて無理だったのでしょう。
そのころは慣習として床油で尻を汚さぬ様に、自由席の床に新聞紙を敷いて座ったり
寝たりしたものです。夜行です。白白と夜が明ける頃に本州の北の端っこに近い駅に
到着します。可愛らしい駅です。隅の方に台測りなんぞがあります。物をどこそこ止め
で送る事が出来たのです。客車とは別に、貨物専用の貨車が接続されていましたね。
おっと脱線致しました。ごめんなさい。 駅を出ましたら、バスに乗るのですが、凄く
我慢しなければなりません。運行本数が極端に少ないのです。参りましたボンネットバス
に乗って、海近くから山方面に。幼いわたくしは景色の移りをそれは興味深く眺めたもの
です。踏切を越えて停車したそこは、一本の道があるだけ。其の両側にぽつん、ぽつんと
家があります。道は上り坂で十和田に通じているらしい。たしか叔母の結婚の祝いに参じた
のだと思います。立派な母屋。長いテーブル。大皿に乗った御馳走。今でこそ普通の
鶏の肉やら卵焼きやらカレイの煮付けとか。当時は祝宴でもなければお目にかかれない
御馳走です。そとまごですが初孫である私は祖父、祖母、叔父、叔母等にそれはもう
めんこい、めんこいと。祝宴は一日で終わりません。そういうものです。
寒かろうと布団で圧殺されそうに寝かしつけられたわたくしは、北国の冷気が頬をイタズラ
するので目がさめました。今の布団と違いまして、やたらと重いのですよ。
這い出るのも大変でした。母屋を抜け出て、散策。旧母屋に。藁葺。ほとんどが土間。
太い柱と梁。全く前時代のそこは幼いわたくしにも訴えかけるだけの逞しさでありました。
あちらこちらと見て回ると、多くの叺を発見するのです。竈の上の梁とか、家の外周を
一回りする板の間とか。中身は全て木の実です。鉄床と金槌もみつけました。
胡桃の割れたのも発見しました。胡桃と言っても頭に”鬼”。そんなものを備蓄する。
人の弛まぬ生存本能に驚かぬわけがありますでしょうか? 「したみ拾い」米は貴重
だったに違いありません。五つに満たぬわたくしにも充分理解出来る。
山に分け入り、木の実を拾い、なんとか命をつなぐ。石臼も発見しました。
「ああこれで」粉にしたに違いありません。試しに残っていた粉を口に運ぶと、とんでもなく
渋いのです。「こんなもので・・」命は切ないものだと、幼心にても思うに充分でした。
さてと、成人したわたくしが、神田界隈を歩いている。何をしに?
目的などはありません。げっぷをしたらカレーの匂いがするほどに。うろうろしたら
それはあった。瞬間に「コレは買わねば」だった。古書店のジジイはびた一文まけるかの
気配がムンムン。「にいちゃん、欲しいのかそれ」睨めつける視線は頭のてっぺんから少し
すり減った靴の先端まで。「にいちゃん、あんた貧乏だな」余計なお世話だ。
店主は店の奥に。戻ってわたくしに付き出したのは、”割線切符”正確な名称は知らない。
「知識は安く無い。でもな、ちょっとづつでお前のものだ」月に千円を十二回。
「さて、一枚目切るか?」出したよ裸の札を。財布?いつもズボンのポッケさ。皺くちゃな
千円を伸ばしてジジイはミシン目を押さえて一枚目を切り取り、それを摘んで言う。
「これで決まりだな」新聞紙で出来た袋にその本を入れてわたくしに。
「にいちゃん、良い買い物だと思うよ」単にわたくしは幼い記憶の充填目的で、知識欲
などでは無いのだが、店主は勘違いしたらしい。その後完全に支払いは済ませた。
その間、色々と得た。本から。飢餓とそれを乗り越える知恵と手間。彼岸花さえ食とする
切なさ。木の実さえも主食であった事実。今は手元に無い。その本だ。
実に惜しい。過去と現在を繋ぐ良書であった。


散文(批評随筆小説等) 本と神田とジジイ Copyright ドクダミ五十号 2012-11-05 09:30:51
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