文学メモ
るか

理性的なものと感性的なものとは、インタラクティブな関係にありうるものと考えられるが、伝統的には、感性は理性の下位にあって、理性に従属すべきものと考えられてきた。意識と無意識もまた、同様の関係にあるものとみなすことが可能だ。そして、芸術作品もしくはハイカルチャーに分類されてしかるべき文学は、勿論、理性や意識を通じて、感性や無意識にまで働きかけることが可能な手段であると目されてきたものと云って、そう大過ないように私には思われる。そこで、比較的注目をされてこなかったように思われる理性から感性への方向性、則ち、読み行為というものが、じつは文学の中心過程をなすように私は考えている。作品の完成が作者の自己充足を最終目的とするならば、それは発表され共有される必然性を持たない。もし作者の欲求が、作品の、読者の感動を通じた広範な伝播ということにあって、フィードバックされる評価やそれを通じた権威の享有、名誉心、及び、経済的利益や交遊の広がりと深まりによる、人間関係上の利益にあるのではないとか、それらの利益の獲得を通じた作品伝播こそが真の目的ならば、芸術的現象とは、作品の最初の一文字が書かれた時から、世界における作品の心的作用が永久に無効となるその最後の一瞬までの空間的また時間的な総過程とみなすべきであって、いわゆる作品そのものは、その永いプロセスのなかの枢要ではあるがあくまで一契機をなすに過ぎない。プロセスにおいて問題なのがその目的にあるならば、文学現象の主要な場所は、受容と拡散の世界にこそあるものとなしうる。


散文(批評随筆小説等) 文学メモ Copyright るか 2012-09-24 20:12:30
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