ジョーイ
ホロウ・シカエルボク




無菌状態に保たれた部屋の中できみは横たわっていた
酸素と、栄養を身体中に装着された管から受け取りながら
常に心拍数や体温をチェックされていた
みんなきみのことを眠っていると思っていた
その昔もっとも愛おしく思っていた妹をきみが手にかけたことを
大人になったきみ自身が許せないでいるから目覚めないままなのだと
きみがきみ自身で
すべての扉を閉ざしているのだろうとみんなそう考えていた
きみが
大人のための施設へと移動する車から抜け出して
あの呪わしき子供時代を過ごした生家の
あの呪わしき部屋の中で妹と同じように血塗れで倒れていた時
誰もがそれを贖罪だと思った
きみが手にかけた妹と同じ死に方をしようとしたのだと
きみは死ねなかったことを悔やんでいるのだと
だから傷がすべて癒えたあとも死んだようにしているのだと


はじめ、きみは
自分がどうなっているのかてんで判らなかった
今度目覚めるときは、ロザリーと
あの楽しい遊びの続きをするのだと
そのことばかりを考えていたから
なぜ、自分が
まだ彼女の居ない世界に居るのかと不思議でならなかった
きみは確実に自分を殺したはずだったのだから
ロザリーと同じように、少しずつ、少しずつ
きみは自分を殺していったのだから
きみはまず目を開こうと思った
でも開かなかった
次に起き上がろうと思った
だけど起き上がれなかった
次に声を出そうと思った
でもなにも言えなかった
いろんな人がやってきては
きみにいろいろなものを繋げて去って行った
「ねえ、こんなものいらないよ、邪魔なだけだよ、全部外しておくれよ」
きみはせめて身ぶりだけでもでそういう気持ちを伝えようとしたけれど
指先の一本も動かすことは出来なかった
どれだけやっても駄目だったので
きみはとりあえずされるがままになった
きっとそのうち、ちゃんと目が覚めれば
動けるようになるんだろうとその時はそう思っていたから


みんなはきみが石のように眠っていると思っていたから
きみのすぐそばできみについての
いろんな感想を口にした
きみはとりあえず
自分が嫌われていないことは知ることが出来た
いつまで経っても動くことも話すことも出来なかったので
きみはいつしかそうしようと思うことを止めた
ときどき思い出したように
動こうとしてみることもあったけれど
きみはまるで結果を出すことが出来なかった
そのうちきみはこれはこういうものなのだということを理解した
もう自分にはそれらは必要がないのだと


きみはいつもまわりのことに耳を澄ませていたから
いま、どこ、いつということはいつもきちんと把握していた
そして頭の中でいろいろなことを考えていた
父親のこと、母親のこと、ロザリーのこと、施設の人たち
家に帰るお金を貸してくれた老婆のこと
春の香り、夏の温度、秋の風、冬の雪
いろいろな出来事が思い出された
きみはそれまでそんな風に
なにかを思い返すということをしたことがなかった
頭の中にあったのはいつも
可愛い妹の笑顔だけだったのだ
これはなんだろう、ときみは思った
きみは思い出というものを知らなかった
そして動けないきみは
いつかその記憶の出来事の中にゆっくりと沈んでいくようになった
沈めば沈むほど
忘れていたことが静かに形をなしてきた


きみの家はとある小さな街の住宅地の端っこだった
生まれたのは庭が茶色い落葉でいっぱいになるころのことだった
時刻は午後の早い時間で、きみが生まれるために頑張ってくれた人たちはみんなお腹をすかしていた
きみが最初に感じたのは
きみを取り上げてくれた医者の手のひらの温度だった
これはなんだろう、ときみは思った
そのことについて考えるのに夢中で
きみは泣声を上げることをしなかった
はじめみんな君が死んでいるのだと思った
でもきみが不思議そうに首をかしげたのを見て
ああ、よかった生きていたとみんな胸を撫で下ろした
その時の何とも言えない空気のこともきみはちゃんと覚えていた
そうして覚えのある鼓動に寄り添い
湯につかり
あたたかい布の中でじきに眠くなった


あの頃きみは目覚めるたびに新しいなにかを手にしていた
たとえば声を上げること
たとえば見ること
たとえば言葉
たとえば立つ
それから歩く
食べる
なにかを手にすること
なにかを手放すこと
なにかに躓くこと
それから倒れること
理解出来ないことが起こるたびに
大きな声を出して母親を呼んだ
母親はすぐに来てくれて
うたを歌いながらきみを慰めてくれた
うたというものはきみは早いうちから好きだった
それがあるとなんだか気持ちが穏やかになる気がした
きみは少しずつ少しずつ、判ること出来ることを増やしていった
きみがなにかを出来るようになるたびに
両親はきみのことを抱きしめて喜んだ


そのうちロザリーが母親の胎内に宿った
きみは母親のお腹が大きくなっていくのを興味深く見つめた
そして言われるがままにお腹に耳を当てて
そこで何かが動いていることに腰が抜けるほど驚いた
それは、妹というものだった
きみはとても長い間
妹が出てくるのを待っていた
妹が出てくるとき
きみは父親と一緒に
街の小さな病院の廊下で待っていた
ときどき看護婦が部屋から出ては
ぱたぱたとなにかを取りに走った
もう随分経ったな、と父親が言ったそのとき
一番年上の看護婦が父親を呼んだ
きみは父親について行った
生まれたばかりのロザリーの泣声が聞こえた
すごい、ときみは思った、なんてすごいんだろうと
きみはそのとき生まれるということを知った


今度はロザリーがきみのように
目覚めるたびにひとつひとつ
新しいことを覚えていった
ロザリーが初めて言葉を話したとききみは
柔らかな雷に打たれた様に震えた
おかあさん、ときみは母親に呼びかけた
「ロザリーがおしゃべりした!」
きみはロザリーといつも一緒にいた
彼女が少しずつ
彼女たるものになっていくのを一番間近で見た
母親はどこか懐かしいといった顔でにっこりと笑った


そうしてきみは、動かぬ身体の中で意識だけをしっかり研ぎ済ませてゆく、記憶は驚くほど確かに、順を追って回転する、そして、きみや、彼女や、父親や母親の運命をどこかへ追いやったあの夜へと繋がる


あの夜きみが考えていたことはどんなことだったのだろう?あの夜の少しあとから、きみはずっとそのことを考えていた、なにか大切なことが、あの夜きみの胸の中にはあったはずだった、だけどそれはどれだけ考えても思いだすことが出来ないのだ、あの時、きみが手にした刃物で少しずつ削られていったロザリーという愛おしい生物、きみが指先に感じた赤い液体の温かさ、それが肘の方へじっと流れてゆく時のくすぐったさ、言いつけ通りにじっと口をつぐんで我慢していたロザリー、涙を流して…カタカタと小刻みに震えていた可愛い妹、温かさがだんだん、ひやりとしたものに変わっていったあのいっとき、きみをすごくうっとりとさせたあのいっとき、きみが考えていたことはいったいどんなことだった?やっぱりそれはどうしても思い出すことが出来なかった、きみは仕方ないと思ってそのことについて考えるのはやめにした


あのあと、そう、あのあと、きみは明るくなるころまでずっとロザリーの身体を刻んでいた、模様をつけるようにしてみたり、えぐり取るようにしてみたり、皮だけを丁寧に剥いでみたり…明るくなったころにようやくそれがロザリーではなくなったことに気付いて、そしてそれがどうしてそういうことになったのか理解出来ないでいた、朝の光は夜のうちに起ったひどい出来事をなにもかもきれいに見えるようにした、赤く染まった床、きみの手、きみの服、そして、彼女の服、彼女の身体、彼女の…顔…昨日までは確かにきみが大好きなロザリーだったひとかたまりの肉、どうしてこんなことになったんだ、きみは考える、でもなにも満足に答えを出すことが出来ない、じっと痺れてしまったあとみたいに身体が縛られていて少しも動くことが出来ない、そうするうち母親が自分たちを呼ぶ声が聞こえてくる、その声はだんだん近くなる、母親は階段を上がってこようとしているのだ、待って、ママ、来ないで、きみはそう叫ぼうと思ったけれど声を出すことが出来なかった、考えることも、動くことも出来なかった、ちょうど今のきみと同じように…そして足音が聞こえる、母親が子供部屋へ繋がる階段を上ってきている、なんとか、なんとかしなくちゃ、でもきみはてんで動けない、なにも上手く考えることが出来ない、母親は部屋に入ってくる、それからほんの少しぽかんとして、それからなにが起こったのか理解する、母親は悲鳴を上げる、震え始める、駄目だ、なにか言わなくちゃ、きみは母親の方を見る、そうするにもとてもたくさんの集中力が必要だった、母親の方を向いて、手にしていた刃物を―もうそれでなにかを切ることなど出来そうになかったが―差し出し、「ママも、やる?」と言った…どうしてだろう?あの時自分が口にしたのはそんな言葉だった、どうしてそんなことを言ったのか全然判らなかった、そう、ゲームをしていたから…少なくともそれはそもそもはゲームであったはずのものだから、母親も誘おうとしたのだろうか?判らなかった、母親は悲鳴を上げて転がり落ちるように階段を下りて行った、それから父親が上がってきて、「なんてことだ」と言って頭を横に振った、父親はきみたちに近づかないまままた階段を下りていき、それからどこかに電話をかけている声が聞こえた、聞きなれた父親の声じゃないみたいな声だった、かすれた、細い……それから知らない大人がたくさんやってきて、きみをどこかへ連れだした、そのときにきみはなんとなく、もう父や母に会えないだろうと思った、そしてそれはその通りだった、ねえ、ロザリー、きみはいったいどうしちまったんだい?大きな車の後部座席に乗せられ、どこかへ連れて行かれる間、きみは薄曇りの窓の外の風景を見ながらそんなことをロザリーに話しかけていた


施設で暮らしはじめた最初の数日間のことをきみはよく覚えていた、例えるならそれは山歩きをしていて、間違った道に入りこんだのにそのまま歩き続けていたら、何となく居心地のいい湖を見つけてそのまま居ついたという感じだった、誰かがずっと昔に建てたままほったらかしていた小屋があって、きみはその中へのそのと入りこみ―施設の中で数日暮らすうちその風景は濃い霧の中に隠れていった、きみはその現実にはない湖のそばで、現実には居ない鳥の囀りを聞いたり、現実にはない木々たちの枝が風に煽られて枝をこすらせたりする音を聴いて過ごした、ときどきその霧を追い払って目の前にいま何があるのか確かめようとしてみたこともあったけれど、それは絶対に晴れることはなかった、そう、きみがそこにいる間は、一度も


霧が晴れたのは、きみが施設で幾つも年を取って、もうそこから余所へ移らなければならないとなった時だった、きみは眼前に広がる美しい湖を見た、その湖のあたりではどうも朝を迎えたばかりのようで、湖面は太陽の光を受けてキラキラと輝いていた、その湖面を見ているうちきみは、ロザリーに会いに行かなければいけないとはっきりと思った…どうすればそれが出来るのかは判らなかったのだけれど、とりあえずなにか用意だけでもしておこうと思った、きみは施設の工具箱からドライバーをひとつ盗んで隠し持った、それを使うときがあるかどうかは判らなかったけれど―チャンスはきっとどこかにあるだろう、ときみは思った、きみは施設では問題ひとつ起こさなかったし、愛想も良かったから、だれもきみが逃げ出すなんて考えていなかった、係の人もきみを連れてちょっとしたドライブに出かけるぐらいのつもりでいた、きみは施設のみんなとお別れを言って握手をし、車に乗り込み、長い長い距離を走った、途中、大きなショッピングセンターが道の先にあるのを見つけた君は、お腹が痛いから車を止めて欲しい、と恥ずかしそうに頼んだ、いいよ、と施設の職員は言って、センターの駐車場に車を止めた、きみはすみません、と詫びてから車を降り、センターの中に走っていった、センターの中にはトイレの表示がいくつもあった、このまま別の出口から出れば上手く逃げられるかもしれないときみはすこし考えたけれど、トイレの近くの姿見で距離を置いてきみに着いてきている職員の姿を見た、きみはトイレの個室に入ってドアをロックした―そのトイレはセンターの中では一番小さなトイレで、個室はひとつしかなかった、個室の天井には排気ダクトがあった、かなり大きかった、ラッキーだ、ときみは思った、入口から誰か入ってこないか気を配りながらドライバーを出してねじを外した、それからダクトに潜り込み、店の裏口の排気口からなんとか出ることが出来た、用心しながら表に回ると、きみが乗ってきた車が止まった場所と反対側の駐車場に出た、そこできみは一人の老婆が、まとめ買いした冷凍食品を車に乗せられずに困っているところに出くわした、きみは手伝ってやった、ありがとうね、と老婆は言った、いいえ、と言ってからきみは、もしよければ駅に送ってもらえないか、と頼んでみた、老婆はきみの埃まみれの施設の制服を見て、あなたどうしてそんなに汚れてるのと尋ねた、きみは、仕事の途中で出てきたんです、妹が、田舎に住んでる妹は心臓に持病を持ってて、今度倒れたら危ないって言われてたんですけど、さっき倒れたって電話が入って―老婆は、その話をあっさりと信じた、きみは、嘘をつくような人間には見えなかったからだ、車の中で、老婆は、あなた、お金はあるの?と聞いてきた、大丈夫です、ときみは答えた、施設で暮らしてるときにこつこつためた貯金があった、でも老婆はきみに金をくれた、「なにかあるといけないから、いいのよ、気にしないで」きみは心から礼を言った


乗り込んだ列車が故郷に向かって走り始めたとき、きみの鼓動はすこし不安定になった、顔は上気し、何度も大きな息を継がなければいけなかった、父の顔、母の顔、ロザリーの顔が、きみを迎える場面を想像すると居ても立っても居られなくなった、本当にそこに彼らが居るかどうかなんて問題じゃなかった、きみは洗面に立って顔を洗って深呼吸をした、列車の中はガラガラで、それはきみの故郷がすっかりさびれてしまったことを意味しているのだけれど、そのことにもきみは気付かない様子だった


列車に乗り込んでしばらくの間、きみは窓の外の景色を見ていたが、やがて眠ってしまった…夢ひとつ見ない眠りだった―きみは夢というものを見たことがなかった、きみが眠っている時、きみが見ているものは、あの霧に包まれた光景だった、どこを向いても見えるものは霧ばかりだった、きみはそれを、施設に住み始めたせいだと思っていた、だけど本当は、その少し前、きみの側からロザリーが居なくなったあの夜から始まっている景色だった…列車が駅に着くまで、きみは一度も目覚めることはなかった、霧の中で、ただぼんやりと少し俯いたところにあるなにかを見つめていた


駅に降りて、改札を抜けると、きみの目の前に懐かしい景色が広がった、きみの顔には頬笑みが浮かんでいた、きみはしばらく駅の入口を出たところにあるベンチで、穏やかな日光を浴びながら駅前の賑わいを眺めた、気が済むまで眺めたあと、列車の中で誰かが忘れたフードつきのコートをバッグから出して着込んだ、少し速い春にはちょうどいい服だった、きみはフードをかぶり、俯き加減に歩いた、きみのことを知っている誰かに会うのは避けたかったから―もっとも誰かがきみに気付いたとして、きみに声をかけてくる可能性なんてきわめて少なかっただろうけど―小さなマーケットの前を通り、音楽が流れているカフェの前を通り、雑貨屋の前を通り、教会の前を通り、角を曲がり、裏道に入り…久しぶりに通るその道はきみをとてもウキウキさせた、もうきみは知っていた、それがどんなに大切なことだったか―やがてきみは懐かしい家に辿り着く、門は閉ざされていて、「売家」と書いた札がかけられていた、それはもうすぐには読めないほど昔にそこにかけられたもののようだった、きみは門に手をかけた、鍵はかかっていなかった、小さな庭に駆け込み、玄関の側の地面に伏せて並べてある五つの植木鉢の真ん中を持ち上げると、昔のようにそこに合鍵が置いてあるのを見てにっこりした。ロザリーが置いといてくれたんだ、ロザリーが、ぼくが帰ってくるときのことを思って―


鍵穴に合鍵を差入れ捻ると懐かしい小さな音がして長い間かけられたままだった玄関の鍵が開いた、その音がした瞬間きみの頭の中の霧は晴れ、湖は消え、きみが見ているものが現実の世界ときれいにシンクロした、きみは最後にこの家にいたころのきみに戻っていた、きみはドアを開く、きみが戻るべき世界がそこにあった、ただいま、ときみはあの頃のように叫んで暴れるように駆けこんだ、蓄積した、小さな虫の死骸や、埃や、途方もない哀しみの痕跡などはまるで目に入らないようだった、きみはまず両親のいる部屋を覗き、ただいま、ともう一度言った、誰かがお帰りというのがきみには聞こえた、もちろんそこには誰も居なかったのだけれど…それからきみは台所へ行って、椅子に腰を下ろした、テー部に並ぶママのごちそうがきみには見えた、きみはそれをひとつつまんで食べた、現実にはそれは虫の死骸だった、おいしい、ときみは言って、にこにこしてから勢いよく立ちあがり、二階への階段を駆け上がった、きみとロザリーの部屋だ―いまでは誰の部屋でもないけれど―きみは部屋へ続く階段を上った、ロザリーの名前を何度も呼びながら…部屋のドアを開けると、血塗れの姿で嬉しそうにこちらを振り返るロザリーの姿がきみには見えた、きみにだけは見えた…ロザリー、ときみは叫んでコートを脱ぎすてる、拭いきれなかった血がこびりついて煤けたような色になった床の上にそれは落ちる、


「僕の番だ、ロザリー!」


きみはそう叫ぶと、ナイフを出して、自身の身体を傷つけ始める。まずは小さな浅い切傷、それよりは少し深い傷、それから浅い刺傷、それよりもう少し深い刺傷…えぐるように、ねじるように―ロザリーの身体に刻んだ無数の傷のことをきみはすべて記憶していた、どんな順序でそれを刻んだのかということも…こうして身体を切り刻まれながら、ロザリーはずっと耐えていた、目に涙をいっぱいためて…なんてかわいい妹だろうときみは思った、きみのことが大好きだったから、彼女は声も出さずずっと耐えたのだ、ロザリーのことをもうときみは痛みなど感じなかった、痛みなど少しも感じなかった、ただなにか、傷口が増えるたびに穏やかな火で炙られたみたいな熱さがそこにあるだけだった、きみの顔にはいつしか笑みが浮かんでいた、ロザリー、ときみは話しかけた、ほらごらん、ぼくはお兄ちゃんだからこんなことしたって少しも痛くないんだ、ほら、凄いだろう…なんとか言えよ、ロザリー―きみのゲームは懐かしい生家に夜が訪れ、また去ってゆくまで続けられた、きみは次第に夢見るような表情になって、部屋の床はあの時と同じように血にまみれた…いや、あのときよりもずっとずっとたくさんの血で染められていった、きみは全身に焼けるような熱さを感じ、それからぼーっとし、ものがだんだんはっきり見えなくなっていった(きみはそれをはじめ夜が来たせいだと思った)…それから次第に身体に力が入らなくなり、きみはナイフを持ったまま長いこと動きを止め、朝の訪れとともに床にくず折れた、それからぴくりとも動かなかった、きみのことを探している人たちがほどなく階段を上って来た、そして小さな悲鳴を上げた、なんてことだ…とつぶやくのが聞こえた、彼はきみに応急処置をしてから電話を探しに行った、少ししてきみは病院に運ばれ、危ういところで持ち直した、失った血が再び生成されてようやく身体中を満たしたとき、きみは眠りから覚めた、でも目を開けることも出来ず、身体を動かすことも出来ず、声を上げることも出来なかった、それがいまのきみだ


回想が終わるときみは、一日中ずっとゲームのあとの世界を想像して過ごした、きみだけの世界の中できみとロザリーは水が流れるように成長し、学校に通い、友達と遊び、家に帰ると小さな中庭にある木の幹に二人でもたれて座って、学校のことを話した、勉強を教え合うこともあった、それから恋の話をしたりした、ロザリーはきみよりも先に恋をした、同じクラスの目立たない男の子だった、きみはロザリーに少しやきもちを焼いたけれど、おにいさんなのだからそのことはロザリーには絶対に悟られないようにした、そしてきみに彼女が出来たとき、ロザリーもやはり同じ感情を隠した、だけど二人とも互いの相手とはすぐに別れてしまった、妹は兄の、兄は妹の話ばかりをしたからだ…きみたちは兄妹でつきあえばいいんだ、といろいろなひとがきみたちに忠告するようになった、確かに許されることではないかもしれないけれど、きみたちを見ているとそうすることが一番自然なことのように思える、と―だからというわけではないが、きみたちはやがてその忠告通りにするようになった、もちろん両親には内緒だった


どうしてわたしたちこんなことになったのかしら?とある日お茶の時間にロザリーが言うので、きみは自分もそのことについて考えていたと言って、それからこれはきっとあのゲームのせいだと思う、と思っていたことを口にした…ロザリーはにっこりと笑って、やっぱりそうよね、と言った


きみたちが学校を卒業して年頃になったころ、きみたちの両親は車で買物に出掛けて事故に遭い、命を落とした…いろいろなひとたちがきみたちのことを心配して、うちに来ればいいと言ってくれたけれど、きみたちは生まれた家でふたりきりで暮らしていくことに決めた、きみは少し鈍いところがあったけれど、ロザリーはとても聡明な子だったので、それならまあそれでもいいだろうというところに落ち着いた、もう子供じゃないんだし大丈夫だろう、みんなそう思ってくれた


両親を見送って数ヶ月が経ったころ、きみたちは初めて男と女としてお互いのことを求めた、それはちょっとしたことがきっかけだったのだけれど、両親が居なくなったいま、初めてきっかけとして作用したのだ、ゲームが行われたあの部屋で、きみたちは夕方ごろから、夜明けまで何度も何度も愛し合った、ぼくたちは一生離れないで暮らすんだ、ときみが言うと、ロザリーも力強く頷いた、きみは仕事を見つけて熱心に通い、ロザリーは家事をしながら編物などを作って少し稼いだ、みんなが君たちのことを応援してくれた、ロザリーに子供が出来たときも、初めはみんな驚いたけれど、やがて理解してくれた…きみたちは幸せだった、やがて子供が生まれ、きみたちは新しい家族となり、父親や母親の意志を継いで生活を重ねた、三年目にもう一人の子供が生まれ、きみは仕事場で出世し、きみはロザリーのために手伝いを雇い、古くなってきた家をあちこち直し……


きみの命はきみが大人になる前に突然終わることになった


その日、きみは生家からそこに運び込まれて以来初めて目を開き、真っ白い天井を眺め、身体のあちこちに通された管を眺め、それからはらはらと涙を流した…それはとめどなく、いつ尽きることもなく流れ続けた…きみは初めて気がついたのだ、ロザリーはもうどこにも居ないのだということに…



でも
もうすぐだよ






ジョーイ。




自由詩 ジョーイ Copyright ホロウ・シカエルボク 2012-09-20 22:38:06
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