宛名のない手紙
動坂昇

 こんにちは。私はあなたに敵意を持たない人間です。これからあなたに宛てて、こころを込めて手紙を書いていきます。どうか必ず最後まで読んでください。
 まず自己紹介します。私もO市出身です。あなたの住んでいたところよりも、もっと南の地域で育ちました。でもO運動場には何度か行ったことがあります。15年くらい前に関東へ引っ越したのですが、今でもふるさとを思うと、あの母なる湖のことが愛おしくて涙がにじみます。
 今O市から離れているあなたは、たとえどんなにあの土地や人々を憎んでいたとしても、きっとあの風景だけは忘れられないだろうと思います。これからも。
 そんなあなたに、私は大事なことをこころから伝えたいと思って、手紙を書くことにしました。
 さっき、あなたのブログと、他のひとのコメントをいくつか読みました。
 今、あなたに対して行われている集団的な攻撃は、もちろんそれなりの理由があるとしても、とても悪質だといえます。それなりの理由がある、というのは、あなたたちが実際にやってしまったことを、周囲の大人たちが全力で隠してしまったことです。周囲の大人たちがもっときちんと対応していれば、みんなここまで怒り狂いませんでした。特に、学校と警察が早く動いていれば、一般人がわざわざそれらに代わってあなたたちをネット上で告発することはなかったはずです。それでも、県警がようやく本格的に捜査と事件解決に乗り出した今となっては、あなたたちに対する集団的攻撃は、すみやかに止められるべきです。なぜなら、あなたも記しているように、これ以上は、いじめそのものだからです。そう、あなたたちのやってしまった、いじめと同じになってしまいます。
 私は、あなたのブログを読んで、いろんなことを考えました。あなたは、「日本人の残虐性」という言葉をたびたび使っていますね。まるで大人の使う言葉です。実際、これは、あなたがもともと自分で考えついた言葉ではなく、大人たちから教わった言葉でしょう。なぜそう思ったかというと、あなたの文章では、語彙はずいぶん大人びているのに、論理がほとんど通っていないからです。つまり、きっと、これはあなたが自分で考えているうちに出てきた言葉ではないでしょう。大人たちは、あなたにその語彙を教えたけれど、あなた自身の頭で考えることを教えなかったのでしょう。そして、あなたがその語彙を繰り返すたびに、よくわかっていると言って褒めたのでしょう。
 実は、私も、幼いころ、同じ言葉を聞いたことがありました。けれど、大人たちからではなくて、仲のよかった友だちからでした。その友だちは女の子で、きれいな声の持ち主でした。とても活発で、おもしろくて、私はその子と一緒に歌うのが楽しみでした。あるとき、その子の生まれについて知りました。
 「あたしのお父さん韓国人やねん」
 「へーそうなんやー」
 言われてみれば、確かに、そういうことを思わせるほっそりしたきれいな顔だちでした。たぶん、お父さんによく似たんだろうなと思いました。幼い私は何も知らなかったので、無邪気にこう言いました。
 「○○ちゃんは、ハーフってことやなー」
 「一応はな。でもな、国籍は、韓国人やねん」
 「へ?」
 「あたしな、日本国籍は、一生とらへんて決めてんねん」
 私はほんとうに無邪気だったので、国籍のことなんて考えてもみませんでした。
 「でも、なんでなん? そのままやと、なんか、不便なことあるんちゃう?」
 「知ってるやろ? 日本人は、むかし、朝鮮のひとらに、むごいこといっぱいしたやろ? 男の人にも、女の人にも、おじいさんにも、子どもにも、ほんまにひどいこと、いっぱいしよったのに、ぜんぜん、ひとことも、あやまってへんやろ? そんな残虐な日本人に、あたしはなりとうない」
 その子は、まっすぐ私の目を見て、そう言いました。幼い私は驚いて、何も言えず、ただ見つめ返していました。
 そのとき、その子のお母さんが迎えに来ました。その子のお母さんは、日本人です。日本人を憎んでいるその子は、日本人のお母さんと手をつないで、韓国人のお父さんの待つ家へ帰っていきました。
 私は、あれから何度も、ふたりの姿を思い出してきました。あの子は、どんな気持ちで、自分の憎む日本人であるお母さんと手をつないでいたんだろう。お母さんは、その子の憎しみを、どんなふうに受け止めていたんだろう。どうして、こんなことになってしまったのだろう……
 子どもたちは、いつでも、大人たちを、よく見ていますよね。そのため、大人たちのあいだで行われていることは、子どもたちのあいだでも行われることがありますよね。いじめもそうです。大人たちの社会の「いじめ」は、差別、といいます。
 あなたは、あなたの血筋がこれまでに受けてきた差別について、大人たちからよく聞いて育ってきたのではありませんか。遠いふるさとから連れて来られて、強制的に労働させられて、やっとこちらの戦争が終わったと思ったらふるさとでまた戦争がはじまって、それからは今でもふたつに引き裂かれたまま。しかたなくそのままこちらに住んでいるけれど、まわりのひとびとは冷たい。そのひとたちと同じように生活したいのに、その権利をもらえない。もともとここには自分からやってきたわけではないのに、お金がなくて帰れないのに、「外国人は国に帰れ!」と言われる。ネットが普及すると、ますますそういう言葉が、匿名掲示板などで飛び交うようになりました。ほんとうにひどいことです。あなたは、大人たちからあの語彙を教えられたあと、この現実を自分でも見て、日本人はほんとうになんて残虐なんだと思ったのでしょう。そしてあなたは、日本人を憎み――そして、彼をも憎んだのではありませんでしたか。
 何がきっかけだったのでしょう。それは私にはわかりませんけれども、それはきっとなにげないことだったのでしょう。あなたはそのときこう思ったのではありませんか。日本人はやっぱりひどい。あいつらは、あんなことをしておいて、いまだにあやまりもしない。許せない。あいつらは人間じゃない。そして、彼も。
 あなたは、あなたにつながる人々が大人の社会のなかでこれまでに受けてきたいじめを、彼に、してしまったのではありませんか。
 あなたは、日本人の残虐性、と言いましたね。一方、あなたがやってしまったことは、どうでしょうか。いじめをやってしまったあなたは、あれほど憎んでいた、日本人になってしまったのでしょうか。
 いいえ、そうじゃない。あなたは、最初から、何人であろうとその前に、ひとりの人間でした。
 これは、人間の残虐性なのです。
 人間が、人間である限り、戦わなければならない、おのれの内に潜む残虐性なのです。
 その残虐性は日本人のなかにだけあるのではありません。人間である限り、誰にでもあります。現に、あなたのなかにもあった。ひとりの人間を、まわりと同じ人間として扱わずに、虫けらみたいに痛ぶってしまう、そんな残虐性が、あなたのなかにもあった。
 けれど、人間は、そういうことをした時点で、むしろ、人間でない、悪魔になってしまうのです。だから、あなたが、人間でいつづけるためには、彼を虫けら扱いするのではなく、あなた自身の残虐性と、戦わなければならなかったのです。あなたが、ほんとうに、たとえば関東大震災の直後にあなたたちの同胞を虐殺した日本人たちのような悪魔になりたくなかったのなら、あなたは、彼を、いじめてはいけませんでした。
 私は、いま、涙を流しながら、これを書いています。とても悲しい。大人の社会がずっと解決できずにいる問題を、あなたたち子どもが逆転させて繰り返してしまった。いじめを見過ごしてきたのは、周りの生徒たち、学校、教育委員会、警察だけではなかった。私たちそのものでした。
 大人の社会でのいじめを見過ごしてきた私たちも、気づかないうちに悪魔になってしまっていたのかもしれません。あなたが許されないように、私たちも許されるとは思いません。いまからでも罪を認め、人間に戻りましょう。
 一緒に人間に戻りましょう。私も戦います。自分の中にひそむ残虐性と。あなたも明日から戦ってください。それこそが、人間にとっての最大の敵なのです。その敵を、認めるのです。それが、確かに、自分の中にいることを、認めるのです。それが、あなたや私たちが人間に戻るための、始めの一歩です。
 一緒にその一歩を踏み出そう。一度やってしまったことは取り返しがつかない。私たちの祖先があなたたちの祖先にやってしまったことは、なかったことにはならない。同じように、あなたが彼にやってしまったことも、なかったことにはならない。確かに、やってしまいました。まず、そう言おう。そのとき、あなたや私たちは、ようやく悪魔ではなくなる。一緒に、人間として生きていこう。
 最後まで読んでくれてありがとう。今私からあなたへ伝えたいことは、これだけです。もしもあなたが私に言いたいことがあったら、返事をください。待っています。
 
 
(2012年7月15日、とあるサイトの掲示板に投稿した手紙。翌日、掲示板は警察への通報により削除された。さらにその翌日、ブログの記事が削除された。なお手紙の一部は事実に即しているとは限らない。それでも筆者は真実を語ろうとした)





散文(批評随筆小説等) 宛名のない手紙 Copyright 動坂昇 2012-08-25 21:20:17
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