喚く死の影のエコー
ホロウ・シカエルボク






ぬるく閉じこもる夜のなか、渇いた唇に刻まれた運命、なにをするでもなく、ただ、なにをするでもなく、押し黙り眺めていたパーソナルコンピューターのディスプレイに表示されるさまざまな、さまざまな人死にの映像、首吊り、飛び降り、刺殺、絞殺、断首、銃殺、電気椅子、焼死、ガス室、撲殺、轢死、交通事故…明かりを消した部屋のなかでただそんなものばかりを…死を知ることが必要、死を知ることが必要なんだ、いつも、いつでも、俺には…それがどんなものなのかということを、見ることが、見極めることが…自然死、突然死、事故死、他殺、自殺…さまざまな人間が俺の目の中でもう一度死んでいく、俺は死を見つめ…もう存在していないそいつらの記録された最期の生の瞬間を見つめ…そして不吉な色をした肉塊になるまでを…どんなことを考えているのか?それを見つめているとき、俺は…なにも考えていないのか、それとも、特別それについて考える気はないのか…あるいは、そこに映し出されるものがすべてを語り過ぎるから、ただ受け止めているのかもしれない…死んだものはもう人間と呼んではいけないな、なにか新しい呼び名をつけなければならない、なにか確実に、それはまるで違うものなのだときちんと感じるための名前を…さまざまな死体を眺めたあと、たまに俺はそんなことをぼんやりと考える、なにをするでもなく…人間とは、そいつらに個別につけられた名前とは、その機能についてつけられたものなのだ、それがなくなってしまえば、微塵も人間には見えやしない…こんな話をすると、あんたは俺のことを頭のおかしな人間だと思うかもしれない、そして俺のことを、白い目で見て関係を遮断するかもしれない…だけどちょっと考えてみてくれ、確かに俺はあんたたちよりも頭がおかしい人間かもしれない、だけど、俺はこう思うんだ、自分について…俺は狂ったものによって正常な感覚を知る、狂気に触れることによって正常な流れを知ろうとしているのだ、どっちがどうだなんて話をしたいわけじゃない、ただ俺にはそういうやり方が性にあっているんだという話をしたいだけなのさ…彫刻家が自分の作品を制作しているとき、いろいろな角度からそれを見つめているだろう…俺はそれと同じ事をやっているのさ、つまり全体像を完成させるために、あまり見えない場所に目をやることが必要なんだ…俺の目の中で今日、何人の人間が死んだのだろう、考えうる限りのやり方で…もうとっくに存在していないはずのそいつら、その記録はタイトルがつけられ、動画共有サイトにアップロードされ、高評価を受けたり、こき下ろされたり、いままでに再生された回数が表示されたりしながら世界中の人間に共有されている。そして各々の感想がコメント欄でコメントされている、拡散される死、拡散される脳漿、拡散される肉片、拡散される狂気、あるいは正気…時には喜びのようであり、時には哀しみのようである、そのさま…そんなものを見てはいけない、と、両親のように目隠しをしようとする誰か…だけど、なあ、聞いてくれ、人生の終わりは良識の範疇にはないんだ、人生の終わりは…それが断ち切られるようなもののときには、余計だ…生きる資格が問われている気がする、なあ、生きる資格が問われている気がするんだ、この俺の目の前にもしも死と生が同時に突きつけられたとき、そのときどちらでも選べそうな気分であったとしたら…俺はどちらを選択するだろう、俺はどちらを…どちらでも選べる気がする、どちらでも選べる気がするんだ、俺は、迷いもなくどちらかを選択するだろう、でもどちらだ…それはその時になってみないと分からない、そんな感覚がどういう気分を呼び起こすのか分かるか、確実にどちらかを選択するだろうという確信がある、気分…もしもそれが死だったら、もしも選択するものが死だったとしたら…俺の終焉、俺のカットアウト、俺の脳漿、俺の最期…俺はそれをネットの世界にばらまいたりするだろうか、いや、たぶんそれはない…なぜならそれに近いものをこれまでずっとばら撒いてきたからさ、あんたたちがいま読んでいるこうしたもののことさ、そう…俺は昔見た夢を思い出したよ、頭のおかしな女が出てきてさ、その女は…そう、ふたつの意味で頭がおかしくって…無頭症の子供みたいにさ、脳味噌がむき出しになってるんだよ…どう見たってこぼれてきそうなもんなんだが、それはずっと女の頭蓋骨があるべきところに留まっているんだ、そして、わけのわからない言葉をいくつか呟いたあと、自分の脳味噌を鷲掴みにしてテーブルに叩きつけるんだ…ぶちまけろ、と叫びながらね…最低の目覚めだった、最低の目覚めだったよ、だけどその夢のことを忘れることがないんだ、あの女は言った、ぶちまけろって言った、ぶちまけろって言って…そしてぶちまけた、あのあと、あのあといったいどうなったんだろう、あの女はあれから、どんなふうになったんだろう…初めからイカレテいるやつはイカレテいないやつと同じように死ぬのだろうか、だとしたらそれは、本当はイカレテいないのではあるまいか、俺はそこで目を覚ましてしまった、仕事に出かける時間だったからだ…もう十年近く前に見た夢だよ、あの女はいまでも俺の頭の中で、繰り返しぶちまけている…なあ、あんたたちはこういうものを読むとどんなふうに感じるんだ、あんたたちは、俺が死にたがっているみたいに感じるのだろうか、俺が失望して、絶望して、打ちひしがれて、この世から逃れたがっていると…そんな風に感じるのだろうか?違うぜ、違うぜ…前に書いただろう、俺は、生きている資格を問われているだけなんだ、誰にだ…誰に問われているのだ…俺自身さ、そうだろう、分かるだろう…俺は死の直前まで生に執着する餓鬼だ、最後の瞬間まで生き延びることを考えて、遺言すら残さずに死ぬようなやつだ、だから書くのさ、だから死を見るのさ、だからどこまでも見たくなるのさ、この先になにがあるのか、なにをすればその資格は手に入るのか…練物みたいなものを書き上げて自己満足に浸かりたくはない、そんなことをするのは満足に動けなくなってからでいい…汗ひとつ掻かない言葉など俺は認めたくない、たくさんの人間が俺の頭の中で死んだ、時には二回も三回も続けて死んだやつがいた、瞬間をはっきり知りたかったからだ、瞬間をはっきり知りたくて、何度も何度もリプレイのボタンをクリックしたからだ、なあ、たくさんの人間の死を見ることが出来る、アップロードされて、世界中にばらまかれている、コメントが付いて…拡散される…どんなものでも見ることが出来る、だけど本当に見たいものは、決して見ることは出来ないんだ、俺が本当に見たいもの……それは俺自身の死顔なのさ…。






自由詩 喚く死の影のエコー Copyright ホロウ・シカエルボク 2012-07-14 22:49:40
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