命があるなら。
Ohatu


 難しいことを考えず、
 ただ、明日幸せになれ、と祈ればいいのに。

 そうはいかない。
 テレビのコメンテータ気取りで、誰かを見くだし、
 見くだされて、不幸だ不幸だとこれ見よがしに叫ばずにはいられない。

 やっていることは、ただの殺し合い。
 難しくないことを難しく見せかけ、本当のことは見ないようにし、
 最後は、自分だけでは無い、と言って逃げ出すのだ。

 生粋の薬物中毒者、縦一列に並んで歩く。
 無思慮。死ねと言われれば、本当に死ぬんじゃないか、とさえ思うような、
 盲目さ。責任を回避する、卑屈なやりくち、そのために死ねるという狂気。

 だから、

 だからさ。

 命があって、そこにあなたという存在が宿っているのならば、
 純粋に、あなた自身の幸せを願えばいい。そうすれば、いずれ、
 幸せとは何かを考えるようになる。そして、すべての人が、最後は
 同じ答えに辿り着く。必ず。

 そしたら、僕もあなたも、社会ということを始めようじゃないか。











自由詩 命があるなら。 Copyright Ohatu 2012-07-06 13:36:19
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