小指
だるま

これは、ある男性から聞いた話なんですけど、

彼の実家っていうのはけっこうなお金持ちでね、
親がビルとかマンションとか、そういうのを何個か持ってるんですよ。
だから、別に働かなくてもお金が勝手に入ってくるような、彼の家っていうのはそういう家だったんですね。
でも、彼はそういうのが小さい頃から嫌でしょうがなくて、十代の頃に壮絶なケンカの末に家を飛び出して、
当時付き合ってた先輩のツテで建設作業員、早い話が土方になったんですよ。
それで、住み込みの寮みたいなところに入って、稼ぎは少ないながらも、結構充実した生活を送ってたんですね。

ある日、仕事が終わって彼が現場の片づけをしてたら、先輩が彼のところに来て、こう言うんですよ。
「なあ、今日もアレ行かへんか?」って。
アレ、っていうのはね、そう、アレなんですよ。風俗。
彼も若い盛りですから、そういうことに夢中になる年頃じゃないですか。
もう、即答で「はい! 行きます!」って答えたんですね。
その頃、彼は行きつけの風俗店で夢中になってる女の子がいて、年は彼より二つ上の二十歳、
たぶんいくつかサバ読んでると思うって言ってたから、たぶん二十二か三だったと思うんですけど、
まあ仮にAちゃんとしときましょうか。
彼はそのAちゃんのことが、本気で好きだったんですね。

建設会社なんて、もともと女っ気のない職場じゃないですか。
それに若い子との出会いなんてのもそうそうないし、彼はAちゃんにコロッといってしまったんですよ。
そのAちゃんていうのは、面倒見のいいお姉さんタイプで、すごく優しい子だったんですって。
口下手な彼の話を本当に楽しそうに聞いてくれて、すごいいい笑顔で「大変だったね。お疲れさま」って。
まあそういうのも彼女の仕事の一環といえばそれまでなんですけど、それが彼にとって唯一の癒しだったんですね。
遅すぎる初恋、じゃないですけど、ものすごくピュアな恋心やった、って彼は言ってましたね。
風俗で出会っといてなんやけど、って苦笑しながら。

その日も彼はAちゃんを指名して、その、やることをやってですね、
彼女と他愛のないおしゃべりを楽しんでたんですけど、なんかその日は彼女の様子がいつもと違うんですね。
うわの空というか、疲れてるというか。
それで彼は心配になって、「どうしたん? 悩みがあるんやったら話してみいひん?」って彼女に言ったんですね。
でもAちゃんは、「ううん、ごめん。なんでもない」って言うばっかりで、ぜんぜん話してくれないんですよ。
でも、彼は普段からAちゃんに自分の悩みを聞いてもらってたから、どうしても彼女に恩返しがしたくて、
「なあ、ぜったい力になるから話してくれへん?」って、しつこくしつこく食い下がったんですね。
そしたらAちゃんもさすがに根負けして、ぽつり、ぽつりと話し始めたんですよ。

その話っていうのが、
「あのね、私、親がすごい借金しててね。それを返すために、こんなところで働いてるの」
っていう、まあ、わりとベタっていうかね、ありがちな話なんですよ。
彼女は最初こそあんまり話したがらなかったんですけど、だんだん話してるうちに涙をボロボロこぼし始めて、
本当はこんなところで働きたくないとか、怖いマネージャーに関係を強要されてるとか、そういうことをね、
あ、
そのマネージャーっていうのが、一応言っとくとあの、ヤのつく特殊な業務をなされてる方なんですけどね、
まあそういう、親の作った借金のせいで生き地獄みたいな生活を送ってる、っていうような話をし始めてね、
もう、堰が切れたみたいに、一気に弱音を吐き始めたんですよ。

それが彼にはすごくショックで、
いつもは頼れるお姉さんみたいな彼女のね、か弱い本当の姿を知ってしまったような気がして、
「彼女は俺が守ったらなアカン!」って、使命感に燃えてしまったんですね。
そしたらもう、あとはもうお決まりのパターンですよ。
「金のことやったら心配せんでええ。うち実家が金持ちやから、絶対になんとかしたる」って。
彼はそのとき、彼女との結婚まで真剣に考えてたんです。
彼女の借金を返して風俗から抜けさせて、自分が養うんや、って、そう勝手に決めてたんですね。

で、次の日、
彼はさっそく嘘ついて会社休んで、もう二度と帰らないと決めたはずの実家に帰ったんですけど、
家出同然に出て行った息子が急に帰ってきて、親としては複雑じゃないですか。
特に父親のほうは「もう勘当じゃ!」とか言った手前、突然戻ってきた息子に対してね、
「よう帰ってきたな」とは言えないわけですよ。
しかもその帰ってきた用件がまた、風俗で出会った女の借金を肩代わりするために金を貸せ、ですからね。
そんな話は普通に考えたら聞けないんですよ。
でも、彼はそこをなんとか、そこをなんとか、って頼み込んで、ボロクソに罵倒されてもじっと我慢して、
もう、耐え難きを耐え、忍び難きを忍びの精神ですよ。本気で彼女に惚れてる、結婚しようと思ってるんや、って、
ついに彼は、夜までかかって両親を説得することに成功したんですよ。
それで結局、実家に戻ってきて家を継ぐっていう約束と引換えに、まとまった金を親に用立ててもらって、
さっそく彼はそれを持ってAちゃんの店に行きたかったんですけど、
彼の実家て言うのがド田舎もド田舎で、もうとっくに交通手段がないんですね。
だから今日のところは実家に泊まって明日帰ることにして、
とりあえずAちゃんに電話だけでもしとこうと思ったんですね。
で、電話をしてみると、Aちゃんすごい喜んでくれて。
ありがとう、ありがとう、って何度も何度も泣きながら感謝されて。
彼はその夜、人生で最高に幸せな気持ちで眠りについたんです。
そしたらね、
なんか変な夢を見たんですよ。

その夢っていうのが、
夢の中で彼は、すごいスピードで空を飛んでるんです。
最初、彼の肉体がふわふわと浮き始めて、なんやなんや、と思ってると、だんだん天井を突き抜けてね、
彼が寝てる実家を飛び出して、空に浮き上がって、
その田舎から彼の勤め先のある街まで、ものの数秒でビューンと飛んで。
彼の住んでるところの隣町、だったかな。そこにある、一軒のマンションに飛び込んだんですね。
全く見覚えのない、来たこともない街の来たこともないマンションですよ。
で、彼が、ここどこやねん、って思ってたら、よく見たらその部屋のベッドにね、Aちゃんが寝てるんですよ。
しかも、なんかどこかで見たことのある、ホスト風の男といっしょに。
その様子を、彼は斜め上、天井の辺りから見下ろしてるって感じなんですよ。
で、彼はその男のほうに見覚えがあって、「これ誰やったかなー」って考えてたら、
あ、こいつ彼女の勤めてる風俗店で見た顔や、って。
つまり、そいつが彼女の言う、「関係を強要されてるマネージャー」なんですよ。

夢っていうのは潜在意識が反映されるって言うじゃないですか。
だから彼は、いま自分の中にある焦りとか、彼女への心配とかが、こういう夢を見せたんやろうと思ってね、
「こんなん見たない! 早く覚めろ! 早く覚めろ!」って必死で念じてたんですって。
でも、ぜんぜん覚めてくれないんですよ。
それでしばらく「早く覚めろ早く覚めろ」ってやってたんですけどね。そしたらそのうちに、
なんかそのAちゃんとマネージャーの話してる声が聞こえてきたんですね。
その内容っていうのが、
「なあ、アレどうなった?」て、マネージャーのほうが言って、
Aちゃんが、「ああ、アレでしょ。あいつバカだから簡単に信じたよ」って言うんですね。
それで「なんや?」と思ってよくよく二人の話を聞いてみると、まあ早い話がつまり、
その二人は彼をカモにして、多額の現金を巻き上げようとしてたんですね。
彼は以前からAちゃんに、自分が金持ちの実家を飛び出して自活してることとかも悩みとして話してたんで、
そこを狙われたんですね。二十歳そこそこのガキやから色ボケで騙しやすいやろ、って。

彼はそれを聞いて腹が立って腹が立って、Aちゃんへの恋心とかがいっぺんに冷めてしまって。
それが一気に怒りに変わったんですね。「このクソアマ殺したる!」って。
それで彼は、ベッドで寝てる彼女のところへ飛んでいって、
怒りに任せてAちゃんの首をグイグイ締め上げたんですね。
そしたら彼女の顔がみるみる真っ赤になって、白目を剥きながら苦しんでたんですけど、
その苦しんでる顔のブサイクなのがまた余計に腹が立ってね。
もうこいつホンマに殺したる、と思って首を絞め続けてたら、急に彼女の身体から力が抜けて、
ピクリとも動かなくなったんですって。
それを見て彼は急に冷静になって、ゾーッとしてきてね。
どうしよう、殺してもうた、どうしよう、って思ってるうちに、パッと目が覚めたんですよ。
それで起きたらもう汗ビッショリで、「うわー、ひどい夢見てもうたなー」って思ってね、
自己嫌悪ですごいイヤーな気分だったんですよ。
「俺は自分の愛した女のことを心の中では疑っていて、殺す夢まで見てしまった。最低や」って。

その夜はそのままずっと眠れなくて、もう居ても立ってもいられないから、朝一番で帰ろうと思ってね。
始発電車に飛び乗って、親から借りた金を大事に抱えて、自分の住んでる建設会社の寮に帰ったんですよ。
それが昼過ぎくらいかな。
そしたらね、携帯に着信があったんです。
それで、誰やろうと思って発信者名を見たら、彼をよく風俗に誘ってくれる先輩なんですよ。
で、「はいもしもし」って電話に出たら、
先輩が電話の向こうで「おい! ○○! 今どこや! 大変やぞ!」って焦ってるんですよ。
それで「何かあったんですか?」って話を聞いてみたら、
「ええか、落ち着いて聞けよ。絶対に絶対やぞ。あんな、あの、お前が惚れとったAちゃんおったやろ」
って、そこで一呼吸おいて、ものすごい深刻そうなトーンで、
「あのAちゃんな、今朝死んでん」
って言うんですね。

それを聞いて彼、びっくりしてしまって、
「えっ、死んだってどういうことなんですか?」って先輩に聞いたら、
「いやな、俺も詳しいことは知らんねんけど、さっき知り合いからメールで聞いてん。
 彼女の住んでるマンション、すごいパトカーとか来てて朝からえらい騒ぎになってるらしいぞ」
って言うんですよ。
それで詳しい場所とか聞いてみたら、なんか嫌な予感がするんですよね。
その先輩の言う彼女の家っていうのが、どうも昨日夢の中で彼が飛んで行った場所と近いんですよ。
でも、彼は彼女の住んでる家とか知らないし、さすがに「まさかな」って思ってたんですけど、
どうしても気になって、先輩に頼んで知り合いに詳しい場所を聞いてもらったんですね。
それでパソコン立ち上げてグーグルマップで見てみたら、もう、ほんとにびっくりしたことに、
その彼女のマンションていうのが、夢で見たマンションそのまんまなんですよ。

でね、それから何日か経って、
彼は好きだったAちゃんが亡くなってしまって、すっかり廃人みたいになってしまってたんですね。
実家から預かった金は、あのあと電話して「これこれこういう訳やからいらんようになったわ」って言って返して、
好きだった風俗からもだんだん足が遠ざかっていったんですね。
そんなある日の夜、先輩が「ちょっとええか」って言って彼の部屋に来たんですよ。
で、彼が「どうしたんですか」って言ったら、「いや、ちょっと話あんねん」って言って。
なんでもね、先輩が贔屓にしてる風俗嬢から、Aちゃんの死因とかそういう話が聞けたから、
お前にだけは教えとこうと思って来たんや、って言うんですよ。
で、それがどういうことかって言うと、
「あんな、Aちゃんの死因やけどな、首絞められて殺されたらしいわ」って。
それを聞いて、彼、びっくりしてね。
「ああ、それたぶん俺です……」
って、先輩に言うたんですよ。
そしたら今度は先輩が驚く番ですよ。
「Aちゃん殺した犯人お前やったんか!」って。
で、彼がものすごい思いつめて、実はその夜にこういう夢を見て……って話したら、先輩大爆笑してね。
「もう、ほんまお前ビビらすなよ。一瞬ホンマかと思ったやんけ!」て言ってね。
それから事件の詳しい内容を教えてくれたんですよ。

先輩が言うにはね、
その事件のあった日の夜、Aちゃんは付き合ってた店のマネージャーといっしょに自宅にいて、
マネージャーは彼女の家にそのまま朝まで泊まってたらしいんですけど、
そのマネージャーが朝起きてみると、となりでAちゃんが死んでた、って言うんですよ。
彼女は目をカッと見開いて、白目を剥いてね、鬼みたいなすごい形相で息絶えてた、って。
首には絞められた時の手形があって、相当力入れたんでしょうね、それがくっきりとついてて、
それがもう、ほんとに、手のひらから指の先まで、ハッキリときれいに残ってるんですよ。

それ見てマネージャーは腰抜かしてね、急いで警察に通報して、
「部屋で恋人が死んでるんで来てください!」って言って、すぐに来てもらったんですよ。
で、それからしばらくして警察がやってきて、なんか現場を調べたりしたらしいんですけど、
そのAちゃんの部屋っていうのがね、まず彼女が死んだと思われる時間、つまり夜中は施錠されてたんですよ。
それに加えてマンション自体がオートロックだし、監視カメラとかもある。しかも室内が一切荒らされてない。
これは常識的に考えたら、どう考えても第一発見者であるマネージャーしか容疑者がいないんですよ。
それでそのマネージャー、「お前がやったんやろ!」って言われて警察に連れて行かれて、
みっちり取り調べを食らったらしいんですけど、なんか案外すぐ、アッサリと容疑が晴れたんですね。
「もうお前帰ってええぞ」って。

これね、実際おかしいんでしょ。
だってそのマネージャーが容疑者から外れたら、あとはもう容疑者って誰もいないんですよ。
だから先輩も、その風俗嬢に「そんなんおかしいやん。なんでそんな簡単に容疑晴れるん?」
って聞いたんですって。
そしたらその風俗嬢がね、ちょっと声を潜めて、
「あのマネージャーな、前にちょっと問題起こしたことがあって、これなんよ」って、
片方の小指をこう立ててね、その根元をもう片方の手の人差し指でシュッ、とやるんですよ。
それを聞いて先輩も「ああ、なるほど」って。

結局その後、事件はどうなったか分からないらしいんですけど、
彼は何となくね、
そのAちゃんの首にあった手の痕に自分の手を重ねてみたら、たぶんぴったりと重なるんちゃうかと思う、って。
そんな風に言ってましたね。


自由詩 小指 Copyright だるま 2012-06-24 23:00:13
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