漱石気分で
たにい

山合の温泉に浸かりながら雲間の月を眺めてこう考えた

明治の青年達はデカルト・カント・ショーペンハゥエルなどと西洋の哲人を崇め奉っていたものだ
だがしかしデカルト以前から倭国の民は我を持ち、我を張り、我を通していた。デカルトはそれを追認したに過ぎない
人間は自我を作ると同時に神を作った 
バランスを取る必要があったのであろう

何も超越者など作り上げなくても人間を生み出し育んでいる自然は人間をはるかに超えた存在であるのに
自我自我言わずに体の力を抜きぬるい露天風呂の滑らかな湯に身を委ねよ
認めよ人は自然から来て自然に帰って行くものであることを


自由詩 漱石気分で Copyright たにい 2012-06-05 15:45:36
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