せせらぎ
和田カマリ
むかし人であった女の幽体が、やはりそのむかし宿と呼ばれていたこの廃墟から、離れられずに留まっている。全ての人はあまりにもあっけなく死に絶えてしまい、幽霊になる者とて稀で、彼女は孤独だった。
葛などの雑草が生い茂るロビーの、ソファに佇み彼女は思いだしている。家族三人、この宿に旅行に来た日のことを。宿の傍の川で遊んでいた彼女の坊やが、「ママ、パパ、僕、虹色の魚を見つけたんだよ。」と叫んでいたことも。その日の夜は、興奮してなかなか眠れない坊やをまん中に、親子で川の字になり床に就いていた。
いつまでも止むことのない、せせらぎを聞きながら。
人類のいなくなった世界、全てのものは美しさを取り戻している。彼女も早く、記憶などなくしてしまい、なにか光のようなものとひとつになればいいのだけど。