帝王へ
HAL
あなたは少なくとも33年
いやバードとのセッションからとするなら
44年の音楽生活のなかでただの一度として
後ろを振り返られることはなかった
それは凡人であるぼくには
絶対にできないことであり
歳を取るにつけついついぼくは
流れ去っていった歳月を振り返ってしまいます
その意味でもあなたは男のなかの男であられたとの
尊敬と敬意をぼくは抱きます
きっとあなたの真似ができる人物は
男女に関係なく稀にも稀なひとだけでしょう
そしてあなたは多くの才能を肌の色も
国がどこかもまったく関係なく見出されてこられ
そのひとびとはあなたの元から
大きな翼を得たかのように音楽の世界へと
飛び立ちその名を世界に知らしめていった
ほんとうに一切の虚飾なく
あなたは帝王と呼ばれるに相応しい方でした
それ以外の形容は似合わない方でした
ぼくは1970年に録音された《Bitches Brew》から
あなたの音楽が聴けなくなってしまいました
それはあなたに微塵も非も責もありません
つねにあなたの音楽が進化しつづけていくことに
ぼくの耳がぼくの心があなたの演奏に
ついていけなくなっただけのことでした
ぼくはこれでもうあなたの音楽を生で聴けるのは
最後だろうと遥か彼方のことですので
何年かは失念していますが公演を観にいきました
しかし、ぼくの記憶違いでなければ
あなたに用意されたのは大阪城ホールでも
フェスティバル・ホールでもなく
扇町公園の野外特設会場でした
ぼくはさすがに招聘元に対して
これは帝王に余りに無礼だろうとの
怒りを覚えましたが
しかしあなたにはまったく関係はなかった
予想通りあなたは手に持ったペットを
吹かれることなくステージの上を右から左へと
左から右へと足を引き摺られ若手の演奏を
聴いておられるかのように想えました
しかしまるで気が向いたから吹いたんだとも想える
短い一音は引き連れてきた若手たちの音に一瞬に緊張を与え
聴衆であったぼくには鋭利なナイフが飛んできたかのように
生半可ではない力でぼくは撃ち抜かれていました
正直に申し上げるとその時ぼくは心臓発作で
この扇町公園の野外で死ぬのではないかと
想ったのは大袈裟ではなく事実です
そしてその翌日久しぶりにぼくはあなたの《TUTU》を
買い求めましたがそれは日本の広告業界の誇りでもある
石岡瑛子氏をアート・ディレクターに起用なされ
ジャッケット写真があなたの睨みつけるお顔を
アップでしかも4色分解のモノクローム写真で
撮影されていたことも大きな理由でもありました。
自宅に戻ってすぐにそのCDをプレイヤーに吸い込ませ
楽曲が始まりましたがまたしてもぼくの想いは裏切られ
あなたは昔のように吹かれていたことに驚きました
もちろん昔の演奏とは異なる次元の新しい音楽でしたが
ただぼくはもしあなたがご存命であっても
お訊きできる人間でないことは重々に承知ですが
たったひとつだけご質問したいことがあります
それはとてもやさしく簡単な答えはYESかNOしかない質問です
もちろんあなたのお答えは分かっています。
だけどいま振り返ることが多くなった
情けない男として問わせて頂きたいのです
それを記してこのあなたに捧げた献詩の終行にしたいと想います
『一度として振り返られなかったあなたは臨終(いまは)の際まで
一度として後悔なされたことはなかったのでしょうか
繰り返します一度として後悔なされたことはなかったのでしょうか』
※作者より
ぼくはよっぽどの例外を除いて言葉を短縮しないと云うルールを持っています。それは歳老いた故の頑迷さではありません。中学生で音楽に目醒めた頃からのルールです。エレクトリック・ギターをエレキ・ギターと呼ぶ人物、ジミ・ヘンドリクスをジミヘンと呼ぶ人物とは関わり合いを持ちたくないとずっと決めて日々を送ってきました。取り分け、そんなことどうでもいいと宣う奴、便利だし通じるんだから構わないと云う奴には強い不快感と軽蔑の心を抱いています。それは目上の方を上下関係があっても呼び捨てで呼ぶ行為、先輩諸姉諸兄にタメ口で話す行為と同等、否、それ以下の非礼な行為です。その稀なる例外が帝王の愛したトランペットでした。ぼくは帝王にだけトランペットと呼ばずペットと呼ばせて頂いています。