こごみの天ぷら
ただのみきや

赤い 熊出没注意の看板の右端上に
白い小さな張り紙で「最近」と補足されている
死ぬことより死に方が問題だ
熊に食われるのは天罰のようでどうもいけない
残された妻と子が葬儀の席で困ってしまうだろう
それに牧師だってやりにくい

軽川(がるがわ)を挟んで向こうの日陰ばかり
密やかにとぐろを巻いている 毛深いこごみの姿は
詩人の原始から生え出でる形成途中の舌のように
規則性と不規則性の間ぎりぎりのポーズで
今にも喰いついきそうな緑色の焔だった

こちら側に見当たらないのは
駅の近くで路上商売をしている山菜婆の仕業だろう
だみ声の山菜婆と近所の地主が激しくやり合う光景
思い浮かべていると ウグイスが鳴いた

ふと今
山より人間社会のほうが弱肉強食なのだと思う
満ちたりた一瞬はいい顔で琥珀に閉じ込められ
水たまりに佇む瑠璃色のシジミチョウはお辞儀をし
あの手この手をすり抜ける 森を愛撫する風に
重い日常を浮かべれば ウグイスが笑った

鬱蒼をかき分け川岸に腰を下ろす
靴を脱いで裾をめくるとせせらぎと共にどこからか
からからと糸車のような音が聞こえてきて
すぐそばで誰かが覗いているような気がした
鬱蒼であるわたしはその誰かに見せたかった
冷たい水に脚を浸して向こう岸へ渡る姿を

川の中からひともぎひともぎヒドラの首を狩るように
こごみを捕まえて行く 静かで冷たい興奮だ
両手に持てるだけ それで十分だ
鞄もなければ袋もない散歩で足を延ばしただけ
そもそもわたしの人生がそのようなものなのだ
水から上がると生白い足にカゲロウやカワゲラの幼虫が
何匹もくっ付いていた 楽しくて笑った
蛭だったら怒っただろう

こごみをジャケットに包んでなだらかな山道を下ると
後ろから熊がついて来ているような気がした
落したものは何もないが分けてほしければ分けてもやろう
光の結晶がさらさらと薄くなった髪を梳かして行く
たった小一時間だがわたしは旅をしていたようだ

あく抜きは悪を抜くほど難しいことだった
天ぷらは苦くてうまかった
そもそも本当にこごみだったのだろうか
息子は気に入ったようで一番多く食べた

明けて日曜日
夫婦で教会へ行った
息子は腹痛で行かなかった
ひと月ぶりで説教をした
こごみを取りながら神様の愛を感じたことを話すと
深い話なのに みんな笑っていた



自由詩 こごみの天ぷら Copyright ただのみきや 2012-05-20 22:07:59
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