詩亡遊戯
ホロウ・シカエルボク





嗄れた午後、稲妻のように部屋を飛び交うファンタズマ、肉体は半ば、浅黒い影に支配されて、ああ、おれは迂闊にも砂浜に辿りついた術の無い海洋生物のようだ、身体はままならず、心ばかりが狼狽える…雨は爆発的に降り続け、安普請の家の壁は軋み続ける、その音の中に何度、聞こえるはずの無い声を聞いただろう、ほんのわずかな昔から、いついつかも思い出せぬほどの昔、壁に、紙に、ディスプレイに向かって、うわ言のようにおれが発し続けた声、いまとなってはそんなものに何の意味もない、言葉など、吐いてしまったところで死体と化すのだ、それを吐き出すまでの過程にしかおれは興味はない、すでに書き殴られたものをあれこれと論じたがるのは、若さにしか価値を見いだせない年寄りの執着のようなものさ…春だというのにうんざりするくらいに気温は冷えて、おれは尻に根っこが生えたようにずっと座っていて、窓を覆うカーテンをひと時も開くことはなかった、今日はあるべき光を目にしないまま終わるだろう―おれはおれであることを忘れ、それがなんの関係もなくなるようなものを書きたいと思った、いや、実際のところ、いまでもそう思っている、その思いは決して脅迫的に囁いたりはしないけれど、確固たるものとして胸中に転がっている…いつでも、どこでも、おれ自身が先に来る程度のものならそんなものは投げ出してしまえばいいのだ、そんなものならわざわざキーボードを叩かなくとも様々なときに目にすることが出来るはずだ、話せないもののためにおれは話したい、言葉にならぬもののために…動かぬために浮腫んだ、だらしない顔を拭って、べっとりと手についた怠惰を洗い流し、始めるものは…必ずこれからのことで、これまでとは似ても似つかぬもの、おれはおれであることに執着しない、もうそんなことにはなんの意味もないのだ、おれはおれであることを忘れ、いまこの時周辺にあるもののことを、無意識の心中で変換される言葉でもって、なるべく語りつくそうとしているのだ、喧しい音楽を流して…へどを吐くようにぶちまけようとしているのだ、そうしたことが、おれに年をとらせてきた、おれに、新しいアイテムを提供してきた、おれは、そういった一連の段階をスタイルにしなかった、スタイルにしないことがいちばん大事なことだ、スタイルに沿うだけのものなら、はなから道を外れる必要などないのだから…スタイルを定着させるということは、定めたそこに安住するということだ、それは、与えられて生きることとさほど違いはない、多少誇らしいか、そうでないかの違いだろう、おれの言っていることは間違っているか?おれにももしかしたら、ほんのわずかの間そうした時期があったかもしれない…だけど、もう思い出せないくらい遠い昔のことだ…連続する音楽のようにすべては語られなくてはならない、戦略も演出も必要ない、そんなことがしたいのならある程度まとまったものを書くといいのだ―こんなものになんの意味がある?意味を求め過ぎるのだ、文法でも研究しているがいい…いつだってなにかしら新しい血に飢えている癖に、決まった事柄から動けない連中がいる、おれはそんな連中の仲間になどなりたくない、したり顔と余分な知識、そしてお粗末な羅列―一生かけても判らないもののためにおれはこうしているのだ、部屋を飛び回るファンタズマのひとつを捕まえて、むしゃむしゃと頬張りながら変換するのだ、おれはそうして年をとってきた、貪り、吐き出しながら…旧態依然の苔生した美意識をいつまで後生大事に抱えているのかね?盆栽の揃え方に興味を持つものがどれだけいるのかね?おれは鉢植えをすべて野っ原に投げ出して、あとは腰を下ろしてどんなものが生えてくるのか見るだけさ、それは小さな世界に小忙しく手をかけるよりも、ずっと多くのことを見ることが出来るぜ…なにも生えてこなかったなら小便でもぶっかけてその臭いのことを書けばいいんだ―一度過去に放り込まれたものは、どんな苦労をしてみたって再び現在に引きずり出せたりはしない、捨てることの出来ないものは年をとることがない、なにもかもを投げ出して初めて、次のアイテムがそこにあることを見止めることが出来るのだ…おれは煩わしい身体を起こして、どうにかして次へ飛びこめないかと模索する、嗄れた午後、浅黒い影に支配されて…見せてあげようじゃないか、早く片付けて、明りをつけなければならないんだ、もう自分の手元すら見えやしない、雨は降り続いている、雨は降り続いている、生命を生きるのなら名前のないものにならなければいけない、浮腫んだ顔を殴りつけて新しい流れを呼び覚まし…眩めく視界の中で少しの間、生まれてきたときのことを思い出している、本当は、そうだ、本当は、いつだって思いだせる、いつだって思いだせる、その時のことを…日常の中でよどんでいくものが、その記憶に、感触に蓋をする、生命と違うもののように肉体を錯覚させる、眩めくのだ、そうしなければ、名前のないものにはなれない、それよりもあとのことには、すべて名前がついているはずじゃないか…エンター!おれは新しい感覚について話そうとしている!エンターキーを押して…そこからどんなことを始めればいいのかということについて、その模索について…産道の絞めつけの中で、名前のない状態で…もしも書きつけられた言葉がその時に死んでいるのであれば、そこをくぐり抜けてきたその瞬間に、おれはすでに死んでいるのではないだろうか?そうだ、それを人は誕生と呼ぶ、そのあとに続く穢れを、愚行を、もしくは善行とされている茶番などを―そう言った事柄を全部無視して―この息苦しさをくぐり抜けてこれただけで上出来だ、そうだろう?その時に誕生と呼ばれなければ、どこにどんな誉れがあるというのだ?だがおれは、そのことについてそれほど熱心に語るつもりはない、結局のところ、おれは穢れやら愚行が、もしくは善行の真似ごとが愛しくて仕方がないのだ、おれはいつだって愚かしいことに頬笑みを覚える…それこそがなんらかの冒涜であるからだ、おれは冒涜したい、そこいらの連中よりはもう少し意識的に…だからこんなものに時間を費やしてきたのだ…




すっかりと夜は深くなってしまった、おれの新しい愚行が始まる、だけどそれは夕飯をこらえてまで続けるようなことじゃない……






自由詩 詩亡遊戯 Copyright ホロウ・シカエルボク 2012-04-22 18:44:34
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