1994年5月1日
HAL
天才とは神に選ばれしもの
そう神はきみの近くにいた
しかし余りに神に近いため
その手と握手してしまった
そして天空へ消えて逝った
そしてきみの名だけが残る
神はいつも余りに気紛れだ
神はいつも与えそして奪う
それを非情と呼ばなければ
何を非情と呼ぶかを教えよ
それに代わる言葉を教えよ
それを何と呼べばいいのか
※作者より
これは単なるぼくの勝手な哀悼の吐露にしか過ぎません。詩よりも吐露が長いとの批判も感傷的過ぎるとの叱責も甘んじて受ける覚悟で投稿しました。
●詩の背景として
1994年5月1日。きみはまだ34歳だった。ぼくは鈴鹿を5回訪れたが、きみは何の偶然かは分からないが観てるぼくの眼の前で殆ど周回を重ねることなく2回も教授とクラッシュしてレースを終えたね。しかし、予選でプラクティスで魅せてくれた走りは音速の貴公子と呼ぶに相応しい美しいものだった。でも、ぼくはその時、嫌な予感を覚えた。きみはコースで召されるのではないかと。予感は当たってしまった。きみにとってあの超高速のイモラのタンブレロの左コーナーは、イージーなコーナーであったはずだ。ミスなどするはずはない。愛するチーム・オーナーのフランク爺さんは、パワーステアリングのコラムが破損したかサスペンションの1本が折れたのが原因かもと非公式に語ったが、FIAさえ徹底的な事故調査を行ったが原因はいまも謎のままだ。タンブレロにきみの名が冠されたが、果たしてきみは歓んだだろうか。嫌、決して歓ばなかっただろう。しかし、翌年から大きな事故でもパイロットの命を護るべく車体設計のレギュレーションと実際のクラッシュ・テストがとても厳しくなったことだけは、18年の歳月は流れたけど、きみはきっと歓んだろうと、ぼくは想っている。あれから誰ひとりとしてコースで散ったレーサーはいない。ぼくはサレブレッドが骨折して慈悲であることは分かっているけれど安楽死させられる姿とレーサーが事故で散るのを絶対に見たくないと想いながら、競馬のG1レースとF1グランプリを観ている。