石榴
yuko

 真夜中の底に座ったまま、やわらかい悲鳴
が澱になって、沈んでくるのを見ていた。張
られて赤く染まった頬を覆っていた長い髪が、
絡まり合いながら水面に浮かぼうとしている。
「あなたが思うより傷つきやすいんですわた
しの、肌は」午前零時、壁掛け時計の人形た
ちが一斉に踊りだして、わたしは電子レンジ
のダイヤルを回し、眠りにつく。あなたは、
時間通りに帰ってきたことがない。

 真四角な部屋の隅で、ゆっくりと服を脱い
で。すかすかのクローゼットに、ふたつ並ん
だ外套。降り続ける雨の音。「人間と人間が
交わって人間が生まれます」あなたが吊り下
げた、糸はまなざしに変わり、わたしと、わ
たしの境目が、くっきりと切り分けられて。
細胞のひとつひとつが名付けなおされるとき、
わたしはひどくあやふやな生き物でした。流
れ出る血の沈黙を呑み込んで、平板化する部
屋のなか、つくりものの心臓が分裂し、肥大
していく。幾重にも織り上げられたまなざし
と、太い血管に突き抜かれた位相。

 与えられた名前を胸に貼り付けて、右手も
左手も差し出したのは、あなたが好きだった
からではなくて、わたしを否定するあなたが
嫌いだったから。金属の嵌めこまれた指の関
節が、やわらかく腐っていくのを、ただじっ
と見ていた。「あなたは弱いからなにも聞か
なくていい」背中の曲線に沿って、走る電流。
リビングに散乱する硝子の欠片を、ひとつひ
とつ摘まんで、子宮の壁に埋め込んでいく。
星が降ってくるみたいな、真夜中。最果てか
ら打ち寄せる暗やみの音が、首筋まで浸して
いく。

 「ねえ、」妊娠したんですと、言わなけれ
ば良かった?衛星にはこうふくが淀んでいて、
だからあんなふうに霞がかって見えるんだ。
手を繋いで歩いた、ぬかるんだ道の片隅で、
頭上から降ってくるあなたの声は、まるでひ
かりみたいで逃げられない。唇を固く結んで、
黙って小さく頭を振ったわたしは、「ひとり
きりで守ればよかった!」「だれを?」まる
で嘘みたいな!「わたしを?」「生まれたか
った、」わたしの、腹には石が詰まって
居て
ずっしりと重い
のです。ぱっくりと開ききって、平面化した
わたしの躰を、通りすぎていく人の群れ。目
の前の世界が泡でいっぱいになっていくので、
(見えない!)必死に洗うあなたに「生まれ
てほしかった?」だれも望まないだれにも望
まれない未分化のせいめいの美しい瞳を、わ
たしは舐めとって(赤く錆びついて、)酸性
雨に打たれている。「ねえ、」「生まれなか
った、」わたしは(あなたは、)どこから生
まれてきたのだろう。なにもかもがやさしい
真夜中の底辺で、金色に光る砂を浚った。

 桜の芽吹く音を背に、山の中へ降りて行っ
たあなたの斜め後ろを連いていったわたしの
足音はすこしずつ薄くなり、滝壺に落ちて死
んでしまった携帯電話の目がこちらを向いて
震えたのを、覚えています。ぷちぷちと音を
たてて弾けながら虹彩みたいに広がっていっ
た世界の揺らぎを毒殺する(あなたの汚れた
口元を拭う)そうして何も生まれないわたし
のなかはひどく静かでした、まるで光の届か
ない深い海みたいに。




自由詩 石榴 Copyright yuko 2012-03-01 12:55:57
notebook Home 戻る