未完詩
桐原 真

失う/失われることについて
あるいは、
手付かずの真夜中の数え方について

「いずれにしても、
ものさしは秒針だけだよ」
と、あなたは言った


頬をすくうような風もまた、
朗らかな影のような過去となる
今は
春先の午後



(とびらを少しだけ開け放していたのは、
誰だったのでしょうか)



でも
ほんとうは、あなた
名前など持っていなかったんでしょう?





ときどき、
空っぽの波音が
笑っているのね


ここは角部屋
南西からの日射しのなかで
すっかり浮腫んだあたたかな手を
きゅっと握っている


(あなたはもう、ほとんど
目を開けたりはしないけれども)


窓の隙間から
ゆびの隙間から
心と身体の隙間から
現実と、つま先の隙間から

昔の季節の、笑い声が
こぼれては跳ねる

ぱらん
ぽろん
ぱらん、



(これから、
どこを目指して旅立つのでしょうか)





手首には
あなたが大切にした秒針の代わりに、
名前と血脈

でもほんとうは、
名前など必要なかったのでしょう?



(そこいらじゅうに
跳ねている音の、予定調和)



ときどき、
空っぽ波音が
笑っているのね

幸せだったと、言わんばかりに



(ソーダ水ごしの光のように
たくさんの思い出が拡散しているよ)



わたしたちは
西日とともに、
ちいさな眠りに就く


昔から
いつでも温かかったあなたの手のひらは
たくさんの時間に満たされていて、
無垢で大きな
赤ちゃんの手のひらのようで



わたしはどこへ游いでいけばいいのか
このあかるい
ソーダ水の海は
ひろくて、
ひろくて

50年後の余白にも
窓辺のアネモネが美しくあるようにと
この歌をうたいつづけることしか



(このたなびく距離に
感謝は似合わないけれど、

ほんとうは
春はいつでも、ななめ後ろにあったんだよね)





自由詩 未完詩 Copyright 桐原 真 2012-02-25 22:21:16
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