シーズナル・フィロソフィ
桐原 真

秒針が地球儀のようなものを一周すると、
あなたは
いたずらに、ひとりごとを歌った

残像になった月曜日を憂うよりはやく、
空は、当たり前のように青みを誘って
駆け抜けてしまった





目が覚めるといつも
ちいさな檸檬が、床に佇んでいるよう

(フローリング
つつましい冷温
のびやかな憧憬
でも、西へと霞む朝日の儚さの方が)

昨日の面影はない

昨日や明日の概念がない日だまり
日の出と日没という永遠のなかで
わたしは
ちいさくちいさく、ひとりごとを歌う





平然と、
ひとりごとを一緒に歌った日々は
空白の日付となって
最果てまで流れていった

それはまるで、
あまい微睡みのように軽やかで
そうか、
ここは通過点だったのだと気付く



今年の夏は
きっと融けてしまうような日射しで、
うつくしい陽炎とともに
近似という永遠のようなものになるのだろう

夏の行列が遠くまでのびているので、
いつまでも
さよならを言えない


(片手で弾いたラジオから、
かつて世界のものだった音が
流れています)


夢はいつか醒めて
現実もまた、いつかは醒める





爪先で地球儀を蹴飛ばす、水曜日

分かったようなふりと
分からなかったようなふりが、上手なあなたが
秒針が回りきらないうちに、
どこかで笑っている



優しいひとりごとを
歌うようにして





自由詩 シーズナル・フィロソフィ Copyright 桐原 真 2012-01-22 23:53:55
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