叔母、人と人、人
ガマパックン
まず、母親の妹、俺のおばについての話からはじめようとおもう
よくある話
母親、妹ともに、幼少期より、父親(俺の祖父)より、暴力による虐待を受けていた
おばは持ち前の美しさもあり、お水の世界へ、大分のみやこまち(漢字がわからない)というところで一国一城の主になった、きれいなスナックのママさん
俺にはそんな記憶はなくて、幼い頃から、誰とも結婚せず、子供のいなかったおばは、まるで自分の子供のように可愛がってくれた、優しくて、若々しいおばの姿が今でも思い出される
最後におばにあったのは、おばが40、俺が大学に入った時だろうか、そのころからおばは持病の精神の病気を悪化させ、生活保護を受けながら生きていたらしい(なんでも、店のお金を当時のマネージャーに全て持ち逃げされたとか)
最近、5年は特にひどく、精神病院ではものを壊したり、そういった病院について詳しくはしらないが、母のもとへ、病院からひきとるよう再三、要請があったようだ。
母のもとに今切ったばかりの自分の手首を撮った写メをおくってきたりね
母も精神的にまいっていたことは事実だ
ここ一年は、精神病、拒食症等で体重は20kg程度だったらしい。肝硬変一歩手前で、今では両目がほとんど見えない。
俺は、漠然とこのまま死んでいくであろう叔母のことを考えたが、その孤独やら、なにやらかにやら、なにもかもが複雑すぎて、正直考えるのをやめていた
今日、電話が家にかかってきた
叔母を専属に見ていてくれていた保健士さんからだ
(俺は保健士という職業がどういうものなのかわからないから、いままでは漠然と近況を聞くだけだったが)
個人的な話がしたいというので、電話の前で居住まいをただすと
保健士さんは、叔母と結婚すると、病気、いまの状態、これからの彼女の未来全て私にまかせてほしいから結婚すると言った
これから、彼女が死ぬまで私が守るから、結婚すると言った。
母にそのことを告げると、嬉しそうで、苦しそうで、泣いていた
俺は、愛ってなんだろうとか、奇跡ってなんだろうとか、考えた
もし奇跡なんてものがあるのならば、その力は神様なんかじゃなく
ただ一人の人間がただひとつもっているものなのかもしれないな
なんて柄にもなく考えた
その名前は、愛だろうが、情だろうが、なんだっていい
今、俺がしなければならないことが、ひと段落つく4月中旬には、挨拶にいこうと思う、保健士さんは今年57、その頃には大分には桜は咲いているかな
一枝手折って渡しても、それぐらい許されるだろう。