おとといのこと
はるな


おとといの晩、列車をのりついで、姉がこちらへ来た。
電話が来たのが六時半で、その四時間あまりあとに明石のコンビニエンスストアで発見したとき、姉はおそらくいそがしく泣いたり、笑ったり、落ち込んだり、したのだろうという顔でいた。
フェイクファーのコートに、すてきな柄のワンピースを着ていた。ほんとうに思い立ってそのまま来たといういでたちで、ちいさな黒いかばんを提げて。いくつもの袋を持っていて、そのなかには途中の駅で買ったであろうふろく付の雑誌や、化粧水や保湿クリームや、飲み終わったハイボールの缶や、つけまつげやクリームクッキーが入っていた。そのうえにコンビニエンスストアでもまたアイスクリームやスパークリングワインのボトルを買ったりもしていたのだからもう大変なありさまだった。彼女はもうたぶんいそがしく泣いたり笑ったり思い悩んだりしたあとで、すごく疲れた顔をしていたけれど、わたしたちは大笑いして抱き合った。

一月、連休のさなか、地方のコンビニエンスストアーのレジの前。

わたしが愛している人々の多くは、破綻した部分を抱えているか、あるいは抱えていた。死んでしまったひともいるし、生きているひともいるし、連絡のとれなくなったひともいる。たとえば彼らは一日に2時間しか目を覚ましていられなかったり、はんたいに2時間しか眠れなかったり、夕食を4時間食べ続けていたりそのあげくに吐き散らしたり、あるいは一日に2かけらのチョコレートしか口にしない日を3週間続けては倒れたり、腕や足を切り刻んだ写真を御守りがわりにしていたり、何度も美容整形をして会うたびにちがう顔のつくりをしていたりそれでも満足できなくて胸を大きくしたりお尻を小さくしたりしている。彼らの多くは、自己愛が強すぎるように見える。彼らのなかにはそのように破綻するわかりやすい事件やきっかけがあったひともいるが、しかしそのようなひとはむしろ少数で、わたしも含めて彼らの多くは、もともといつのまにかそうなっていたと言う。
もともといつのまにかそうなって。そしてそのままなんとか生きていて、そうしてそのまま死んでいくのだ。彼らはあまりひとを妬んだり、嫌ったりしない。ときたま物事やひとを憎むこともあるが、その憎しみはあまりに深く、強いので、森のようにうっそうと茂って、見かけからはほとんど知ることができない。
わたしの愛している人々の多くはまだ生きているが、死んでしまったひともいるし、連絡のとれなくなったひともいる。

姉もまた破綻した部分を抱えている。でも死ななくてよかったなと思った。わたしはわたしと、姉が生きていてよかったなと思った。たくさんの人びとや、物事が流れていくので、とても大きな渦のように渾然と流れていくので、わからなくなってしまう。あまりに多くの人が死んでいって、多くの土地が壊れてしまって、そういうのをたくさん見すぎて、わからなくなってしまう。わたしは、わたしのかなしみを悲しむべきではないのだと思ってしまうことがある。混乱してしまい、考えることができなくなる。そして、姉はやってきた。わたしたちは、自分の感情をきちんと感じなければいけない。なにもかも平等に愛そうとしすぎる癖をあらためたほうがいいのだ。

ともかく、姉が大騒ぎしてやってきて、コンビニエンスストアーで再会した。抱き合って、笑って、そして、荷物を半分ずつ持って、外でまつわたしの夫の運転する車へ走って行って、また笑いながら乗り込む。



散文(批評随筆小説等) おとといのこと Copyright はるな 2012-01-10 14:41:49
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