イヴの罠
まーつん
クリスマス・イヴだ。
みんな何をして過ごしているのだろうか。
僕は暗い部屋に一人、パソコンに向かってキーをたたいている。サンタが訪れて来そうな気配はない。というか、今朝から誰一人この家を訪れていない。ブリーフケースに突っ込んだままの携帯も、死んだネズミのように黙りこくっている。休日だが、カレンダーの予定欄も、財布の中身も空っぽ(に近い)。
素敵でしょう?
さっきまで映画のDVDを見ていたのだが、まるで集中できない。殺し屋に扮したトム・クルーズがロサンゼルスでどんな運命をたどろうが、別に自分にはどうでもいい事だと気付いて、観るのをやめた。
すき家で食べたチーズハンバーグカレー(並)のせいか、胸やけもする。部屋の床には投げちらかした冬服、煙草のヤニで黄ばんできたカーテンのホックは外れかかっていて、棚に詰め込まれた聞き飽きたCDは、崩れ落ちかかっている。
明日は仕事だ。これが僕の、クリスマス・イヴ。特別、イエス・キリストに思いを寄せたりもしない。今夜の主役は彼の筈なのだが。
もしも今サンタが現れたら、彼を椅子に縛り上げるつもりでいる。もっとも、我が家に煙突はないので、彼がここに忍び込むとしたら、多分ベランダからだろう。だからそこにはネオンで飾ったモミの木を置いてある。もの欲しそうな赤い靴下をぶら下げ、黄金色の電飾が、海辺の街の夜空に向かって゛Welcome Santa Claus , Take a brake here ,have a hot coffee゛と瞬いている寸法だ。カンペキな英語だ。もちろん、暖かいコーヒーなど用意してはいない。くつろげるソファはあるが、彼を座らせるつもりはない。
手元にはロープを用意してある。電気ショックで気絶させるためのショックガンも。部屋の真ん中には、いつも置いてある灰皿を乗せたガラステーブルをどかして、代わりにフローリングの床にねじ回しで固定したパイプいすを据えておいた。
世界中に、彼の訪問を待ちわびている子供たちがどれだけいようが、そんな事はどうだっていい。冬の寒空に鈴をシャンシャンと鳴らしながら、橇の前に座って、トナカイの手綱をさばく本物のサンタを目撃して、どれだけ多くの不信心者が、神の愛と奇跡に目覚めるのだとしても、そんなこともどうだっていい。もしも我が家に足を向けるなら、今夜彼は僕のものだ。
別にサンタに恨みはない。ただ問い正したいだけだ。なぜクリスマスが、ある種の人々を孤独にさせるのかということを。例えば僕のような男たちを。恋人のいない男たちを。
彼が答えてくれるかどうかはわからない。そもそも彼は贈り物を届けているのであって、世間話をしたいわけではあるまい。特に、時間と不満を持て余した僕のような男とは。
だが、逃げようとしても無駄だ。これは決闘なのだ。世の恋人共を浮かれさせているクリスマスを、この手で葬り去るための。
そう、白状しよう。やめさせたいのだ。耳にするたびに、スピーカーを銃撃したくなる、地元のさびれた商店街に、もの悲しく流れるクリスマス・ソングを。人気のないアーケードに白々しく飾られるモミの木や、派手好きの毛虫のようなモール、赤い靴下の飾りを。何よりも、ためらいもなくうっとりと互いを見つめ合うカップルのしぐさを。
それができるのは、サンタ・クロース、お前しかいない。今年を限りに、こんなバカげた慈善事業から、わしは金輪際手を引くと、ローマ法王庁でも通して、公式に、世界中に宣言させるつもりだ。
゛毎晩食事の度に、暖かいスープ皿の前にかがみ込んでは、気が狂いそうなほどイライラさせられてきた、このじゃまっけな髭をバッサリと切り落とし、わしはハワイにでも移住して、レイバンのサングラスにショーツ、アロハシャツといういでたちで、ゴルフ三昧に興じるつもりなのだ゛と。そう言わせるつもりだ。
もしも彼が抵抗しようとしても、どうということはない。雪のような白髪で、明らかにメタボ気味の爺さんの抵抗など、日ごろランニングと筋トレで鍛えていてる僕には、たかが知れている。そう、僕は若いのだ。まだまだ若いのだ。
物置にはプロパントーチも用意してある。
どうしても彼が首を縦に振らないとなると、それを持ち出すことになるだろう。
星がきれいだ。
メリー・クリスマス。