BORN TO LOSE
ホロウ・シカエルボク



誰かがここで何かを話しかけている、だが俺はそれをはっきりと聞きとることが出来ない、俺の神経は摩耗しきっていて、壁にかけてあるシャツが一枚ハンガーから床に落ちるだけでプツンと途切れてしまいそうだ、俺にはそれを聞きとる術が無い、どんなことを言っているのか少しも聞きとることが出来ない、ただ、それがなにかとても大事なことだということが声の調子から感じ取れるだけだ、誰かがここで何かを話しかけている、もっと大きな声で話してくれ、もっと聞き取りやすい調子で、こんな俺にもきちんと把握出来るくらいのボリュームで、一言一句聞きもらすことが無いように…だけど声の調子は変化することが無い、そしてそれはきっと二度と繰り返されることのないしろものなのだ、俺は苛立つ、だけど苛立ったところで草臥れた俺の脳髄がそれらをしっかりキャッチ出来るようになるわけじゃない、むしろ明らかな新たな障害として俺の前に立ちふさがるだけだ、俺はぼんやりとした苛立つ馬鹿だ


もうすぐ太陽は夕日に変わろうとしている、暮れてゆく、戸惑いひとつ見せることなく、明らかに、確かに…日常に泥酔した状態の俺にはそいつにかける言葉すらない、ぼんやりと、ただぼんやりと口を開けて、己の周りに漂う塵を飲み込んでいるだけだ、塵のひとつひとつが、喉を通過するときに小さな傷をつけてゆく、ひとりで、何も語らずに休日を通過しているだけの俺は、いつの間にか自分の声がかすれていることにすら気付かない、いつのまにか、だ、欠陥は、欠落は、そうさ、そんな風に誰にも気付かれることなくいつの間にか訪れる、延滞された光熱費の支払い請求のようにそっと差し込まれるのさ、そして俺はかすれた声でなにかを呟くんだ、自分自身にすらはっきりとは聞こえない何事かを


半地下のバスルームではいろいろなものが死滅している、出て行けなくなった蛾、ゴキブリ、ナメクジ…俺はそいつらを弔うことなくすべて排水溝に流してしまう、同じだ、報われない死などいくら祈ったところで意味が変化するわけじゃない、報われないのなら意味なんかない、幾つかの本能だけで人生を謳歌する生き物とは違うのだ、半地下のバスルームは小さな死の瞬間に満ちながら夕方の太陽をかろうじて取り込んでいる、だけどそれはその小さな空間をすっかり渇かしたりすることは出来はしない、小さな死の瞬間で充満する空間は観念的な涙のようにどこかが濡れているのだ、俺はそこで身体を洗う、洗い続ける、湯をかぶるそばから身体が冷えてゆく、近くの堤防沿いを通過する浮かれたガキどもの声が、シャワーの音の隙間から時々聞こえてくる、在り方を変えないものたちは雄弁だ、その中で俺はどんなふうにして自分を誑かしている?


天井裏ではネズミが騒ぎ続ける、彼らもまた理由なき生のひとつ、身体に似合わぬ足音をとどろかせて真夜中を謳歌する、牙と尾が非常な貪欲を物語っている、腐ったものでも食べる、満腹して下しもしない、生きる姿勢だ、彼らは列を成して走る、足音を聞いているとそれがはっきりと判る


文字を打つ指先が次第に冷えてゆく、まだ明るいけど、まだ十分に明るいけれど、ゆっくりと夜が訪れようとしているのだ、俺は手を組み動かす、生体であるという熱がその中にある




自由詩 BORN TO LOSE Copyright ホロウ・シカエルボク 2011-12-11 15:50:43
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