現代詩で鼻をかむ話
KETIPA
やっぱり現代詩は文章だから、ちゃんと文脈を読んで理解出来るものでないといかんのだろうか。
とこないだ、ひさびさに現代詩手帖を読んで思った。
いつの間にか新人作品の選評が長々と数ページに続くようになったんですね。おれが見た号だけ特別やったのかな。なんにしても、普段は選者一人に一ページのものが、対談でだらだらと「この人のはこういう印象で良い」「よく理解できなかった」など、選者がどこをどう見ているかがある程度わかるように。
こういう選評自体は見るの好きなんですが、やっぱり「入選する詩」は、傾向としては文章が理解できるものでないといけないようで。文脈がむちゃくちゃだとダメだということでしょうね。入選作を見たところ、そこまで極端に偏ったという印象もなかったけど、傾向と言うか雰囲気は似たものが集まりやすいイメージ。まあ当たり前ですがね。
それはそうと、こういう選評読んでると、自分がいかに人の詩を適当にしか読んでないかってことがよくわかってしまう。「思いがけない言葉のつらなり」とか「脊髄をぴりぴりさせて、冷や汗をかかせるような詩」とか、大分お茶を濁してきた。「わからんくせにギャースカ言うな」と言われても仕方が無いところだろう。
いわばおれは、人が文脈に心を砕いて書き上がった現代詩をみて、それで鼻をかんで「この現代詩かみごこち良くないな」とか言ってるようなもんで、そりゃ文句が出ても無理はない。褒めてても「この絹のようなかみごこち! 全然鼻が痛くならない!」なんて言われても、あんまり嬉しくないでしょうねえ。
やっぱりおれは現代詩に向いた人間ではなかったのかも知れない。最近の最果さんの作品にも面白みが感じられなくなってきたし、勘違いだったのでしょうかねえ。
あ、ちょっと前に買った藤原安紀子さんの作品集は良かったですよ。実にゾクッとします。かみごこちの問題でしょうか。