現代詩で鼻をかむ話/KETIPA
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- 草野春心 
- 深水遊脚 
- 只野亜峰 
 
作者より:
榎本櫻湖さま

おお、受賞者の方からご意見をいただけるとは。まずは受賞おめでとうございます。

選者によって好みが違うのは仕方が無いことですよね。「わからなければ面白くない」「わからないからこそいい」どちらの読み方もありだと思いますし、私自身の好みはどちらでもあり、どちらでもないと思ってます。そもそも私にとっては、わかるわからないが面白い面白くないの基準ではないのかもしれません。テーマや言いたいことが理解できようが理解できまいが、面白いものは面白いし、つまらないものはつまらない。「お前の生活に興味ねえよ」は私も時々思いますね。

個々人の好みについては否定しているつもりはありません。尊重しているつもりです。あくまで私の散文では「私はこう読む、こう思う」という視点のみで話をしているつもりですし、現代詩の読み方、解釈の仕方として「こうあるべきだ、こうでなければいけない」という類のものいいは徹底的に排除しているつもりです。ですので、榎本さんの「わからない詩でなければだめだ」という主張を否定するつもりも毛頭ありませんし、自分の詩がその主張のもとで読まれて批評されたとしても、反発する気はありません。逆に「お前の読み方は間違っている」という言われ方に対しては、反発または聞き流すつもりでいます。詩は個々人が自由に書いて、自由に読まれればいいと思います。選ばれる詩、選ばれない詩、いい詩、悪い詩、なんてものは、多分に個人的なものでしょう。

ただ、単に、私のような読み方をする読者や、私好みの詩を書かれる方をあまり見かけないので、ここでは少々物足りなく思っているというだけのことです。他の散文でも言いたいことはだいたい同じですね。

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