ユキの階段(1)
吉岡ペペロ
振り出した手形の期日をさきに延ばしてもらおうとアポもとらずにユキは仕入先の材料屋さんに朝駆けをした
その建物に入るとき一瞬ホアシトオルのことを思い浮かべてユキはクスッとほどけたような気持ちになった
なにかいいことがあるようなそんな気がした
カウンター越しに事務員に声をかけた
朝のざわついた感じに少し臆病になりそうなのを堪えて社長を呼んでもらった
内線をきった事務の女に付いて応接室に入るとユキは立っていようか座っていようか迷った
春はもうどこからかこの応接室にも忍びこんでいてユキが座るソファにもなんだか冬のものではない湿気が感じられた
社長のムカイヤマさんが
姫山さん、それってわたしを信用してくれてるんですか、
そう身を乗り出して聞いてきた
ユキは、はあ、と言い気を取り直して
はい、向山さんにしかお願いできひんことやから、
ユキはテーブルに手をついて頭を下げた
頭あげてください、
ムカイヤマさんが二度三度そう言ってからユキは顔をあげてクスッと笑った
あんた大した女の子や、三郎くんはあんたに感謝せなあかんな、
ムカイヤマさんがユキを褒めているあいだユキはじぶんがいま笑った理由を思った
ここしばらくあまり寝てなくて手をついて頭を下げていた何分何秒かのあいだ眠ってしまっておまけにユキは夢まで見ていた
夢のなかでユキはじぶんの指さきの温度いがいすべてに違和感を感じながら数学のむつかしい定理を解き明かそうとしていた
応接室に漂う春の水っぽい空気に顔や鼻や首をひたしながら何故指さきだけ違和感を感じないのだろうと思った
ホアシトオルと抱き合ったときの熱と鳥肌と溶けそうな気持ちを思い出していた
姫山さん、今回だけやで、あんたの度胸に熱いもん感じたんやからな、
社長、ありがとうございます、絶対迷惑かけへんよう、かならず乗り越えます、
ユキはムカイヤマさんの目をしっかり見つめながらそう返事をした
そしてトオルの肩にしがみついたとき指さきだけが違う温度であったのを思い出してまた自然と笑みをこぼした