「黄金虫」のいる時
麦穂の海

熱帯夜が明けた
翌朝の駅前通り

ハンカチを頬に押し当てながら
駅へ向かう街路樹の下に

無数のセミが落ちていた

電車を気にする私や
数歩先を歩くYシャツの人の
慌ただしい靴音が

その静かな物体を
ぬうように
よけていく

生の急ぎ足が踏みならす道の脇に
死んだ生き物の
静かな時間が残されていく

私はそのまま中央線にゆられ
ギラギラ光る屋根と
その上の青空をみながら

昨晩のセミたちの
秘められた熱い夜を思っていた



私が一人で寝苦しい夏の夜を過ごした晩に
あのセミたちは
燃えるような生命のいとなみに
ふけっていたに違いない

彼らはすみれ色の夜明けに
思いを果たして昇天した

私が見たのは
さんざん高らかに歌い
生き物としても全うした生の
燃えかすの姿なのだ





帰宅して
アパートのリノリウムの階段で

今度はあおむけに転がる
こがね虫を見つけた

ひっくり返すと
緑色の甲羅は鮮やかで
容色は衰えていない

あおむけで緑色の美しいこがね虫は
あなたに似ていた

あおむけで
両手をあげて
両足をまげて
ベッドに横たわって動けない

あなたに似ていた


相変わらず端正な顔立ちで
介護ヘルパーさんに「ハンサムですね」
と、微笑まれている
あなたは

その姿勢から
自分で体を動かすことができない


それでも

おむつをしていても
浣腸をされていても

あなたには威厳があり
顔をしかめて
睨まれれば怖かった


あなたの軌跡を辿ろうと
10冊あまりのアルバムをめくれば


私の知らない
明るい青春を過ごした
若いあなたが

可愛い女の子に囲まれて
サングラスをかけて笑っていた


あなたのことは
勝手に
慎ましい堅物だと思っていた

あなたの伴侶になった人も
若くて
色白の頬があどけなくて
とても綺麗だった



私よりも華やかな場所に生息していたらしい
若いあなたに

私は何となくほっとした気持ちになった


苦しい顔つきで
涙を流し

「もう十分生きた」

と言った、その言葉には
心底偽りなど無いのだと

苦しいからそう言ったのではなく
負け惜しみでもなく


今のあなたは
華やかに生きた「生」の

安らいだ燃えかすのような
状態なのだと

あなたの62年に関わる
断片を見つめて

納得する



生者の急ぎ足が
すぅっとゆるむ

日の落ちた
アパートの薄暗い階段で

こと切れたこがね虫を拾い上げ
生け垣の満天星の下に埋める

私は焦点の合わないあなたの眼を
思い出す


生者と死者のさかいの領域で
あなたと私は


確かにお互いを見つめている


le mardi 27 septembre 2011




自由詩 「黄金虫」のいる時 Copyright 麦穂の海 2011-09-27 16:48:52
notebook Home 戻る