黄昏時
花キリン

                    

あまり器用ではない指先で黄昏時の風景を繕い始めると
粗野な一日が少しずつ整理されて見え隠れしてきます

落穂拾いのように身を屈めた姿勢は屈折した姿勢だといわれていますが
わたしは祈りの姿勢であると思っています

一日の中で相手様に向って身を屈めるという姿勢をとることは数えるほどです
どんなに時間がゆっくり過ぎようとも傲慢な位置に安住してしまいます

ときどき日の中の残像に咳き込むことがありますが
そこに両の手を合わせると晩鐘の音が幕引き人のようにやってきます

静かな黄昏時です
消えかかろうとしている喧騒の残り火までもが演出者になろうとしています

時間の裾を踏みつけ転ぶような姿勢で何を急いでいたのでしょうか
時間の手すりからは
寄りかかろうとしていた重さを測ることができるとも言われています

だから黄昏時になると 
鎮魂するものが空に向って身を屈めようとしているのかも知れません

わたしはわたしの言葉で一日の締めくくりをと考えています
見え隠れするものを洗浄し明日へと引き継ぐものを探し求めていくのです


自由詩 黄昏時 Copyright 花キリン 2011-09-18 08:08:21
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