稲妻
草野春心



  世界にはたくさんの場所があり
  たくさんの営みがおこなわれている
  その日、僕が
  することを選んだのは
  床屋に行き
  髪を切ってもらうこと



  ひどく無口な
  薄笑いをうかべた男は
  背後から僕にケープをかけ
  最初の鋏をいれる
  それから次の、そして
  そのまた次の鋏を
  僕は
  眼をとじて
  しずかに身をゆだねる



  それはまるで
  詩をきいているようなできごと
  瞼のうらには
  あわい色をした光が滲み、そして
  刻まれる音、
  音、
  音、
  音



  それはまるで
  なにか別のものになったようなできごと
  僕は
  九年前に死んだ
  祖父の遺体とかさなり
  木棺のなかに横たえられる
  僕は
  かつてきみが見せた
  うつくしい裸体とかさねられる、僕は
  未だ出会ったことさえない
  自分自身の子どもたちの姿と
  かさねられる



  死は、
  一閃の稲妻のように
  世界へと突きたてられ
  いつかきみの息の根を止めさせる
  死は、
  一群の驟雨のように
  きみの臓腑を凍えさせる
  僕は哀しい
  僕は畏れる
  僕は無防備だ
  僕は怖い、あんなにも愛していたのに
  裸体のきみしか思い出せないことが
  きみがどんな服を着て
  どんな街を歩き
  どんな笑みをうかべ
  どんな言葉を喋り
  あるいは口ごもり
  どんな思いをかかえていたのか
  これっぽっちも思いだせないことが怖い
  僕は畏れる
  無防備だ



  世界にはたくさんの場所があり
  たくさんの営みがおこなわれている



  やがて
  僕は眼を開く、そして
  どこか遠いところで
  雲ひとつない青空の下で
  幾つかの棺が静かに焼かれてゆくのを感じる
  朴訥な詩人だった男は
  鋏を動かすだけの
  取るに足らない男にすぎなくなる
  それでも稲妻のひびきは
  消されることなく
  ここに刻印されている





自由詩 稲妻 Copyright 草野春心 2011-09-01 17:40:38
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