フネ
yumekyo

焼け跡の町に響き渡る槌音
鋼鉄の爆ぜる音 クレーンが上下する音
再開なった船渠に 巨大な 鉄の フネが
進水を待っている
小学校の青空教室をこっそり抜け出して
造船所の裏山へ毎日通いつめた少年は
やがて自らこの巨大なフネに乗り
天然の良港であるこの入り江を出て
見知らぬ 広々とした 大海とその向こうにある大陸へと
見えんことを 誓った

渡る雲すら引き千切らんとする そそり立つ艦橋を
水平線の彼方まで収めんとする 広大なる甲板より
日々見上げては吐息もなく絶句したのは
まだ罐炊きとして乗船した駆け出しの頃
巨大な 鉄のフネは 航海の度にあちらこちらの港に寄っては
ひとり またひとりと 乗り込む者も増えていった

処女航海から何年か経過したある日
巨大な 鉄のフネは 始めて大海へと乗り出していった
船底から蹴倒されるような 獰猛な嵐の数々には
乗員全員が手に手を取って 皆あらん限りの力を振り絞ってこらえ
航海の成否を左右するほどの深刻な水や食料の困窮には
乗員全員が肩を寄せて 苦難を分かち合った
巨大な 鉄のフネは こうして五大陸の港に豊かさをもたらし
そして七つの海を自在に駆け回った
乗員は皆 使命感と自負心に満ち溢れ
焼けた肌は精悍に 頭脳はアイデアと思慮深さに満ち溢れていた

やがてこの 巨大な 鉄のフネは
改修に改修を重ね 艦上構造物は原形を留めぬほどに複雑となった
罐炊きの少年は いまや白鬢白髪の老人であり
ありとあらゆる矩形を盛りあわせた様な艦橋の上層部に
快適な一部屋をあてがわれて暮らしていた
出航以来船上の人で 毎日欠かさずつけていた日記は
ここ十年 いや 十五年ほど 筆を進めるのに苦労している
純白の三等船員服を着て
甲板や艦橋の下部をキビキビと動き回っていたはずの若者たちの姿が
見えなくなって久しい
様子を見たくて艦橋の麓まで下りたくても
目もくらむほどに高い部屋の位置から階段で降りるには足がすくむ
巨大な 鉄のフネは嵐の中で横揺れを繰り返して
日が差し込めばあちらこちらに錆も目立つというのに補修されない
老人はいまや次の目的地すら知らない
いったい このフネはどこに向かっているのか
艦橋が複雑すぎて艦長室にたどり着ける者は誰一人居ない

甲板に張られた分厚い板があちらこちらで腐って穴が開き
日々勤務にいそしむはずの若い三等船員たちの過半は
罐炊きも見張りもイヤだと言って
ふんだんに積まれた密造酒と保存食の干し肉で酒宴を開き遊び呆けている
甲板 あるいは 船底にうごめく三等船員たちは
獰猛な嵐のたびにロールアンドピッチを繰り返すフネに翻弄され
かかとを踏みしめて立つのが精一杯で
艦橋を駆け上ろうとはもはや思いもよらない

水平線の向こうに
いまだ新たな大陸は見えない


自由詩 フネ Copyright yumekyo 2011-08-17 22:34:21
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