きりん
salco

 選挙の投票に行った。
 梅雨あけ近い佳き日曜日、大人達はペラペラの選挙権を携えて、散策の足
取りで投票所に充てられた小学校へと向かう。

 その校庭で、攀じ登ったジャングルジムのてっぺんには幼い娘が、背の高
い父親の頭を初めて見下ろすような誇らしい嬉しさを、雲を敷き詰めた空ご
と胸に吸い込む。あれは私だ。
 肩車のたび掌握して来た黒い頭髪をいま遥か眼下に置き、なるほど私はジ
ャングルジムを領有する、父のお姫様なのだった。そして父は消えてしまっ
た。何故なら四十年経った。母も十年前に消えてしまった。十年と言えば大
昔だ。きれいだった女が精神病院で廃人と化すほどの。


 幼時は殊にきりんが好きだった。
 不思議な角と頸と模様を持つ、魔法に満ちたその生きものは、優しいまな
ざしで至高の場所から見る世界をも知っていた筈だった。父の肩車もそれと
同様だった。そこからの一望こそはきりんの経験に他ならない。そこは私の
玉座でもあった。
 父の頭に掴まって精一杯右手を伸ばすと、若草色のフェンス越しに屈み込
んだきりんは握り締めた枝葉ではなく、私の顔を舐めた。その黒く長い舌に
はびっくりしたが、こちらの大好きな気持を認めて特別扱いをしてくれたよ
うな気がして、嬉しさと誇らしさで一杯になったものだ。父の肩車とは、例
えばそんな場所だった。

 善き父はしかし母にとってはどうだったか。もの好きなあぶれ者同士の腐
れ縁をなすり合うだけの生活の中で子を四人生し、狎合と齟齬の行き暮れに
猛々しく怒り狂う夫は、不器用な母の意図ではなかったが。
 なぜ父は、聖母のように子を慈しみながら至高の視座を持ち得なかったの
だろうか。ただ一人のつまらぬ女の為にさえ。
 抱いた女を、男はなぜ背に負う代りに面罵し殴るのだろう。狎褻の痴態を
重ね合った生活史が所有の錯覚を惹起するのであれ、しなを作ってしなだれ
かかる可愛さも卑劣さも持ち合わさなかった母であれ、不和は夫婦という他
人同士に不可避の変遷・変性であれ、夫の暴力は妻のせいではない。
 小国民の反動とて戦後はスポイルされた共産主義者に成り果てたにせよ、
その虚妄的な反体制志向が実は生来の軽薄さに由来するものであったにせ
よ、彼が子を溺愛し女房を殴る生活無能者であった事とは何ら関係がないの
だ。わりなき男女の割れ鍋に閉じ蓋、惚れた腫れたの切れ難さが繰り広げる
レクリエーションを、子は肯えない。


 家庭生活という人生の慣習をイメージする時、TVコマーシャルにも似た
既成概念の一方で、私達きょうだいは毎日毎日見て暮らし体の芯に染みつい
た諍いの挟間にいつも立っている。それは例えば私を膝に乗せ、「○○ちゃ
ん、ワガマガ言うんじゃないのよ」と穏やかに諭す父の、とりもなおさずジ
キル氏とハイドの自己矛盾、或いは自家撞着に他ならなかった。
 社会生活と家庭生活は、帰宅の道のりほどに隔絶したものだ。またそうあ
るべきで、だから父は無能者であってもプロレタリア気取りのお調子者であ
っても良かった。それがヤクザであろうと人殺しであろうと、子供は親の社
会的位階など問いはしない。ごくたまにそれを垣間見てみじめな気持になる
にせよ、心を刺すのは肉親としての哀憐だけだ。また父が我々子供達に暴君
であっても構わなかった。しかしその母親に手を上げては絶対にならなかっ
たのだ。

 諍いの只中で、或いは一方的な暴力の行使を見て育った子は、ある種の感
受性が鈍麻する。それは目を開き耳で聞きながら同時に心では塞ごうとして
来た為の、神経の病的肥厚だ。
 子に注ぐ愛情では、その頭に植えつけられた人間性への深い猜疑と侮蔑を
癒すことはできない。感応力の欠損、又は大脳域の痛覚に欠陥を来した子供
は、既に無邪気ではない。つまり父の子煩悩は、殆ど無駄な善行だったと言
うことができる。
 かほどに生母のようであった人を爾来、子は誰も愛さない。いなくても良
い生物学的父親に成り下がった彼の人は無論、この世にはとうにないのだ
が、ジャングルジムのてっぺんから上気した顔で世界制覇を宣言する幼い娘
の前からさえ、こうして忽然と消えてしまうのだ。


 とうにきりんを愛する子供ではなく、至高の視座を余人に仮託する自分で
もない。今日はだるくて歩くのさえ困難なのは一睡もしていないからなのだ
ろうが、空がこんなに美しく雲があんなに柔らかく、まとわりつく暑気も道
端に退いたような過ごしやすさだというのに、鬱病に罹ったのではないかと
思うくらいに何をする気も起きない。私自身の業もまた救い難く深いのだ、
全く何もかも嫌になる。
 日本の何を変えるわけでもない投票整理券など帰って破り捨てようと何度
か考えたが、それさえ業腹な気もし、背を屈めてちんたらと足を引きずり重
たいレジ袋を前かごに自転車を押してまわり道をし、自民党にはヘドが出る
し政教分離を侵して恥じぬ公明党は言わずもがな、民主党など自民党のあぶ
れ者達が烏合したいかさまリベラルに過ぎない。選挙ポスターの中でお下劣
なポーズを取っている連中などどうせ、税金ドロを目論む半可者でなければ
自己過信の精神病質者に過ぎない。
 そこで、当選の望み最薄な共産党候補に浮薄な一票を投じてみた。まあお
盆も近いことだし、ちょっとした追善供養にもなったろう。私の父親であっ
た人間にはこんな程度で良い。


散文(批評随筆小説等) きりん Copyright salco 2011-08-16 00:24:12
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