雲のかなた
yo-yo

なにげなく空を見上げる。
なにげなく雲を眺める。
そんなに暇なのだろうか。そんなに退屈なのだろうか。なにか虚しい行為だと思う。

雲の虚しさは、少年期の虚しさにも通じている。
雲日記というものに挑戦したことがある。毎朝、雲を眺めて、そのときの雲の様子を絵日記にする。
たぶん夏休みの課題から選んだのだろう。雲に興味があったわけではない。いちばん簡単そうなのでやってみた。
だれも確たる雲の形を知らないだろうし、だから適当に描くことだってできると考えた。
あまりにも適当に描いたので、毎日かわりばえがせず、すぐに飽きて放棄してしまった。
それに、有るようで無いような、雲の実態の曖昧さが嫌になったのだ。昆虫や木の実のように、手にとって確かめられないのが不満だった。

雲のかなたには何があるのか。
パソコンのキーを打ちながら、ふと考える。あいかわらず、雲は曖昧な存在のままだ。
クラウドコンピューティングという言葉があるらしい。
クラウドとは、英語で雲のことだ。インターネットの世界を雲の図形で表現したりする。
雲のかなたには巨大なコンピューターがあって、ぼくがキーを叩くと、言葉が雲のかなたに運ばれていく。
グーグルのGmailでメールを打つ。Windows LiveのSkyDriveに大事なデータや写真を保管する。ぼくのハードディスクは雲の上にあることになる。メールもデータも雲のかなたにある。
そして、そこにある巨大な雲のコンピューターは、アメリカの何処かの、隠された場所にあるらしい。
考えれば考えるほど、雲をつかむような話になる。

ぼくの恋人も雲のかなたにいる。
雲ほども遠いから、まだ会ったことも話したこともない。
ときどきラブレターを書いて送る。すると、向こうからもラブレターが送られてくる。
それは単なる言葉の交信かもしれない。ぼくだけが勝手にラブレターだと思い込んでいるのかもしれない。だが、それだけで誰かと繋がっていると思える。雲のかなたにも誰かがいることを実感できて、すこしは幸せな気分になれる。交信が途切れると、やはり幻想だったかなと落ち込む。
そんなぼくを、雲日記の少年があざ笑っている。

このところ、スムーズに言葉が出てこない。スランプかもしれない。
ラブレターが書けないから、恋もできない。
ぼんやり雲を眺めるばかりだ。
ほんとの雲の顔を見てみたい。雲の声を聞いてみたい。
そのためにはまた、雲に向かってせっせとラブレターを書かなければならない。







散文(批評随筆小説等) 雲のかなた Copyright yo-yo 2011-08-11 06:17:01
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