祈りの言葉
yo-yo

祈ってあげてください。
とつぜん、そんなメールをもらった。
かれが重篤だという。

かれは もう ひとりの みちを あるいている…

かれのことを、詩友といっていいかどうかわからない。
ネットで詩の投稿をしている仲間、と呼んだ方がいいのだろうか。
いや、友でも仲間でもないけれど、ときにはもっと近しい。
かれの言葉は、ぼくの魂にとどく。

ネットでは言葉で交流する。だから言葉で祈る。けれども、ぼくは祈ることに慣れていない。祈る言葉も見つからない。
祈るきもちで、かれの詩にアクセスする。
言葉が触れてくる。こころの深いところから深いところに。
言葉の手が合掌している。祈りの言葉は、かれの詩の中にあった。

詩を書くということは、祈りかもしれない。
幸せになりたい、幸せにしてあげたい、悲しみや苦しみから逃れたい、できれば楽しく明るく生きたい、純粋な気持になりたい、なにが真実であるか知りたい、本当の美しさを見つけたい。
さまざまな願いを込めて、かれも言葉をさがしたのだろう。
その行為こそ、祈りではなかったか。

かれの言葉が語りかけてきた。
かれの眼は、どんな世界を見ようとし、かれの手は、どんな世界に触れようとしていたのだろうか。
祈っているのは、かれの言葉だった。

きみの 眼で 世界を 見たい と おもい
きみの 手で 世界に ふれたい と おもう







自由詩 祈りの言葉 Copyright yo-yo 2011-07-21 06:54:44
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