帰るところを忘れて
yo-yo

133メートルの高さから毎秒1トンの水が落下する那智の滝。その天水が流れ込む海のあたりに温泉がある。
太平洋に向かって大きな口を開けた洞窟の風呂。忘帰洞という名前がついている。
目の前の岩礁で砕けた波の音が、洞窟の天井で反響する。白濁したお湯に浸かりながら遠くの水平線を眺めていると、いま、どこに居るのかも忘れ、どこかに帰ることも忘れてしまう。

湯の中で、中国の若者たちが大勢さわいでいた。
顔も体形も同じだが言葉が違う。同じ漢字の国の人間だから、彼らも国を忘れ家を忘れているにちがいない。
高い仕切り壁の向こうの、女湯でも甲高い声が飛び交っている。言葉がわからないので、鳥か獣が騒いでいるようにも聞こえるが、言葉のリズムが歌のようで心地いい。
つい、ぼくも国を忘れ、家を忘れてしまう。

熊野の峰々を潤した神の水が、地下ふかくで古代の火に熱せられて海にかえる。
水はもとの水に帰り、人は帰るべきところを忘れる。その接点で水と人が仲良く交わっている。
「隠国(こもりく)・熊野は何やら熱がある」
と熊野の作家・中上健次は書いている。「人を破壊する」とも。
帰るところを忘れるということは、すでに破壊されていることかもしれない。
温泉の熱気で興奮した、中国の若者たちも壊れかけている。

忘帰洞には船で渡る。船のガイドの話によると、
沖の水平線に1メートルの津波が見えたら、この温泉のある岬では15メートルにも達し、海岸から山上まで波にのまれてしまうという。どこにも逃げ場はない。
人も自然も破壊されるのだ。
南海沖地震が予測され、紀伊半島は頻繁に揺れている。近い将来の深刻な話でもある。
ひとは壊れることを恐れて、みずから壊れようとする。とりあえずは、何もかも忘れるために、神の水のご利益にあずかる。







自由詩 帰るところを忘れて Copyright yo-yo 2011-07-06 05:50:59
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