夢の淵
yo-yo

最近、おなじ夢をよくみる。
岩場に立っている。そこからどこへも行けない。見下ろすと深い淵がある。とても飛び降りられる高さではない。踏みだせば死ぬ。死の淵だ。そのような岩の上に立っている。
以前にも、そんな夢をみた時期があった。
どうにでもなれと、思いきって飛び降りてみた。夢は夢だけの手ごたえしかなかった。それ以後、そんな夢はみなくなった。

ところがまた、同じような夢をみている。
生きるか死ぬか、そこまで深刻なことではなくても、日常生活では、いくつも些細な選択を迫られるものだ。
先延ばしにしているうちに、いつのまにか未解決なものが岩の固まりになって、夢の中で積み上がってくる。ということもあるかもしれない。

キーボードで、「死の淵」と打ったら「詩の淵」と変換された。
デジタルな箱の中で、死というフォントと詩というフォントの差異は、ほとんどないのかもしれない。
あるいは、私がしばしば両方の言葉を打ったので、私のパソコンは私の淵を学習してしまったのか。

詩を書こうとして、死の淵を覗いてしまう。
崖っぷちに立って深い淵を覗きこむ。ぎりぎりのそこから目を逸らすことは難しい。
私には迷いがある。まだ戸惑っている。深い淵のように、見えないものや解らないものがたくさんある。
夢の淵へ、まだ飛び降りることができない。






自由詩 夢の淵 Copyright yo-yo 2011-07-02 14:10:51
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