失楽園
長押 新


祖先の祟りが身体の中で眠っている。彼らを眠らせるために薬を飲み、その副作用で唾液を口に溜め込みながら、草原のなかに立たされている。草原はホテルの隙間に現れる、古い虚構の中に置かれた、アメリカの地雷。二流ホテルで働くわたくしはアメリカの他には国を知らない。第二言語として話すアメリカ語は日本人訛りが強く、アメリカ人だけがそれを笑う。
そのせせら笑う歌のような息遣いが、I still、そして祖先が強く眠る。草原に立たされていた、はるか眼下にもわたくしのようなものは居ない。誰もおられないのにわたくしは居る。そうしたこともあって、アメリカの地雷を思い出した。地雷は幼い乳房のように、埋まったまま静かに寝ている。だから、わたくしは手前に転がっているヘルメットを被る。
深い疲労が、或いは医師によれば精神的免疫不全、もしくは、人々が言うには指先から血液を抜かれているために、その重さにふらついてしまう。筋力のない身体では地雷を踏めないことくらい聞かされていた。土の隙間から蜘蛛が風に身をあてるように這い出す。インクのように黒い蜘蛛であった。
一つの地雷に幾らの悲しみがあるのか、それは長い手紙のように文の始まりだけが大きく、萎んだOがRに飲み込まれている。爆発音さえ聞こえないのに、悲しみの声は届かない。他には誰もいない、わたくしは地雷を爆発させようとしている。ヘルメットを被る、取り除くために。
草原が膨らんでいくころ、足の裏にはたくさんの砂埃がつき、厚くなった皮の間には筋がみえる。白い筋だ。砂埃のための地面にはいくつもの手紙が地雷とともに埋められていることをわたくしは夢の中で知る。幻想と虚構の中の夢は、どこからもやってきた。誰も地雷が手紙だったのか手紙に地雷が添えられたのかは覚えていない。皆が死んでしまったから、覚えていることができなかった。地面にも、木の根にも、文字らしいものはひとつもなく、そのかわりに歌や踊りが、点々とあらわれていた。沈み込む、ヘルメットの重さで地面へ沈み込む、点が蜘蛛の小さな子供等であるのに、踏んでしまってから気がつく。沈み込む、わたくしは地雷になる。苦しくもないまま、手紙となる。たくさんの手足や命が奪われていく手紙に。手足はやがて影絵のように砂埃の中から生えでる。わたくしはそれが見たい。
その時になると祖先は目覚め、上司が優雅に珈琲をすする、ノーゲストのラウンジに立たされている。珈琲の香りはすでに仕事の匂いに変わり果て、そこにはいつも剣呑さを感じた。照明と光とが筋になり、置かれた観葉植物やシュガーポットを照らす。積み上げられた伝票に目を通さずに、わたくしのものではない印鑑を押し続ける。珈琲のようなおまえら、と指の白い上司は言う。わたくしは手紙を書く、観葉植物にあてて。とても器用に人を傷つける術を、この時、わたくしですら心得ていた。アメリカ、を遮断する壁が喉元から舌にかけて腫れ上がる。とても吃らずにはいられない。
眠りましょう、眠りましょう、祖先はわたくしの自由を食い尽くすように、わたくしを草原から引きずり戻そうとする。「あの草は血を吹いているの?」あれは花だよ。「こんな所に花が咲くのかしら?」咲いているのに咲いていないことはあるまい。「花は歌うかしら」歌があったら歌うよ。草にしがみつくように、一つの花が咲いている、祖先のために赤い薔薇が咲いているのだ。わたくしはそれが見たい。そこではそれをわたくしのために摘み取ることが、わたくしにはできる。
ベンジャミン・ライナスが何度も執拗に繰り返す無実の人々にわたくしは含まれているのだろうか、裸のまま両手をあげて近寄ろうと、する。乳房の奥に瞳があるのか、わたくしは見つめ合う。足の裏を見せてほしいと彼は言う。靴は履いたままだった。恥ずかしい唇と心臓が飛躍していくのがわかる。わたくしは珈琲を客に運ばなければならない。アメリカから運ばれて来た珈琲を。それは祟りなのかしら、足の裏が踏んでいるのは美しい絨毯。破裂する喜びのなかにうまれていた。


自由詩 失楽園 Copyright 長押 新 2011-06-21 18:29:28
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