あなたが生まれた時、あなたは泣いて、周りの人は笑っていたでしょう?
村上 和

こんな日はいつも雨が降っている

遺影で笑う人を
私はあまりよく知らない

よくある失敗談で
食べてしまうというお焼香
やり方は知っている
でも実践は小学生の時以来だ
少しどきどきしている

始点と終点を結ぶのが人生だ
と誰かが言った
終点というその言葉に
単線二車輌のレトロな電車と
忘れ去られた理由で使われなくなった
小さな駅のある風景を思い浮かべる
悲しいねと泣く友人に対し
さみしいねと笑って返した
彼女の眼が少し腫れている

お焼香の順番はまだ回ってこない



空が泣いているみたいだ
と言った見ず知らずの彼の声が
糸になって私と結ばれる
その糸が赤く染まることはない

私は彼が喪服の釦を外して
ネクタイを緩めている姿を想像する
彼の恋人は
きっと幸せだ

不意に辺りを見回してみると
ちらほらと懐かしい顔があることに気付く
その表情に仕草に
それぞれの歳月が刻まれている
私がここにいることも
何人かは気付いてくれいてるかもしれない
赤くない糸で
ここにいるみんなと結ばれている
笑って声をかけたりは出来ないけれど
それでいい

お葬式という儀式を
私は子供の頃から嫌いではなかった
私はいつも上手に出来ないのだけれど
正しく悲しむということが出来る
唯一の場だと思うから

お焼香の順番はまだ回ってこない

窓から見上げると
空が泣いているみたいだった



お行儀良くしてなさい
と注意を受ける
沈んだ空気に
軽い私の気持ちがふわふわと浮かんでしまい
少し眠たくなって
小さくあくびをしてしまったのだ

振り向くと
少女の頃の母がいた
お母さんこそ足をふらふらさせちゃダメだよ
と言うと
だって床まで足が届かないんだもん
と小声で返してきた
その口調が母親らしくない母らしく
少し可笑しかった

その後しばらく
ひそひそと
母の思い出の話をした
記憶の中だけにある古い小さな駅に
まだ電車が走っていた頃の
母が生まれ育った町の話
母の青春や恋愛の話
結婚して私が生まれるまでのこと
私が生まれてからのこと

なんだかとても心地がよかった
ふわふわと浮いた気持ちが
ますます軽くなってゆく

途中母に
お焼香のやり方を確認しようと思ったのだけれど
いつの間にか忘れてしまっていた



程なくして葬儀は終わり
みんなそろそろと
口数も少なく傘の下でうつむいて
家路なのかそれぞれの道を歩んでゆく
白髪交じりの母が
門の外で何度も頭を下げている

私から伸びた赤くない糸だけが
彼らの後を追っていた

彼らにも彼らの糸があるのだろうと思う

お焼香の順番は
とうとう最後まで回っては来なかった
それを不思議にも思わずに
私は棺の中で眼を閉じ丸まって
遠い雨音を聴いていた

そういえば
小学生の時
私はお焼香を食べてしまったのだと
ふいに思い出す

遺影で笑う人
その人を
私はあまりよく知らない


自由詩 あなたが生まれた時、あなたは泣いて、周りの人は笑っていたでしょう? Copyright 村上 和 2011-06-18 18:22:37
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