「春と修羅」についての短い散文
……とある蛙

春と修羅について「修羅」という言葉をキーワードとして思うところを書いてみました。

1924年 宮沢賢治27歳の処女詩集

「春と修羅」 自費出版のこの詩集の中の2編に賢治は己の姿を描写しています。
一つは「春と修羅」一つは「春と修羅(序)」です。
春と修羅はタイトル自体明と暗を対比しています。つまり、修羅とは梵語で「光らないもの」、ところが、春は陽光燦々つまり、天上(デーヴァ)devaと同様明るい。
「四月の気層のひかりの底」で、妬みなどで「唾しはぎしりして」往き来している自分は一個の修羅としています。明るい光の中でも「光らない」「光を持たない」者が修羅なのです。
修羅の特徴は怒り、敵意そして慢(法を極めたと勝手に思い込み仏陀の正しい教えに耳を閉ざすもの)の3つです。
 修羅は宇宙の統一性を知らないため、個々の存在がバラバラだと信じ込んでいるので、怒りや悲しみを抱えて孤独で且つ断片的で、非常に狭い現実感に生きる者です。また、将来に対して狭いビジョンしか持っていません。
 近代科学においてさえ、宇宙は常にそれを観察するものを包摂し、動態的で分割不可能な全体として経験されています。

賢治の信仰していた法華経の序において、宇宙は阿弥陀如来の眉間の間、白毫相から発せられる光によって周く照らされているという統一性を持ちます。無限有情の大地獄から有頂天まで全てでこの光に照らされています。

 つまり、明と暗の二元性を持つ己の理想を体現すべく生きるための一里塚として、修羅と規定して表現したものと考えられます。

修羅としての自覚、修羅からの脱皮により本当の意味での幸せがおとずれる。そう信じて生きて行くが脱皮できない今の己が修羅なのだ。 っとこの時代の賢治は思っていたのではないかと感じられます。

(結論)
 だからなんなのさという人がいると思いますが、賢治が単純な道徳による自己犠牲の精神をもっていたなどという見解は全く薄っぺらな解釈だということです。→そこから軍国主義を肯定しうる等とする見解もあるようです。
 世にあるすべての事柄が関連した因果の連鎖の中にあるという理解からは自分の幸せは孤立した欲望の満足ではないということなのです。
 欲望の満足はすべて瞬間的な喜びでしかなく、すぐ充足感がなくなります。結局すべての人が充足して幸福である状態こそが賢治にとっての永続的幸せなのだということです。

特に自分がこのような考えを持っているというのではありませんが(笑)、想像して書いてみました。 


 


散文(批評随筆小説等) 「春と修羅」についての短い散文 Copyright ……とある蛙 2011-06-06 10:51:23
notebook Home 戻る  過去 未来