終末論の週末にくるものは
石川敬大
 胴体に日の丸をつけた飛行機が
 滑走路から飛び立ってゆくのを見送っていた
 まるでデジャヴュでもあるかのように
 ものを書き
 考えることをしてきた
 だのに、なにも残っていない
 なにも、身体に刻印するができなかった
  わずかに書き遺したものも
  潮風にとばされる砂紋みたいで
 書棚から一冊取り出し
 本をひらけば
 印刷された文字たちが消しゴムの滓みたいに
 ページのあいだからこぼれ落ち
 白紙になってしまうだろう
 それでいいのだ
 と、おもうが
 愕然とする気持ちもある、それは
 感覚の落差であり
 感情の躓きであるからして
 ぼくの位置からの日常や社会や新聞紙は
 みあげる場所にあるのだとおもう
 空に
 テレビ/モニター
 の、ひかりと音声とが
 あざとく幸福論をまきちらす
 わらい声が
 太陽のようにふりそそぐ
  廊下のむこうに
  海面がギラッと輝いて
 構築したはずのものが崩れさった
 校庭の隅っこの草叢に立って
 あぁ、これは
 かつての、あの
 光景に似ているのではないだろうか
 呟くようにそうおもった
 
