ライブのこと
はるな


好きで、よくライブへ行くのだが(インディーズ・ロック・バンドが多く出る)、どうしてもベースに見入ってしまう。ギターやドラムやヴォーカルやキーボードももちろんそれぞれに素晴らしいのだが、ベースの、あの指の腹で撫でるような動きが好きなのだ。(だから、ピックをつかうベーシストよりも、指弾きのほうがだんぜん見入ってしまう)。
この間みにいったライブに出たあるバンドのベースはとくによかった。

テクニックなんかはよくわからない。わたしは楽器がぜんぜんできないから。それにライブハウスではたいてい酔っ払って踊っているから。
それでも、すばらしいと思うベーシストにはごくたまに出会う。出会う、というか、わたしが一方的に見入っているだけなのだけど。
そのひとはベースみたいだった。というか、ベースがそのひとみたいだった。繋がっているようだった。弾きながら、じっとしていられないという風にステップ、踊るのだけど、ベースがぜんぜんじゃまそうではなく、というよりも、ベースがあるおかげでものすごく踊りやすい、というふうに踊っているのだった。
それは不思議なことだ。

幼いころ、長年ピアノを習っていた。わたしはレッスンがすきじゃなかった。鍵盤はかたくてつめたくて重たいし、先生のけばけばしい香水の匂いも慣れなくていやだった。
あのころ、なめらかに動く同級生の指を恨めしい気持ちでみていた。まるでわたしのときだけ、鍵盤が拒否するように重力を増しているのだと思っていた。

音楽を好きになったのは、ここ何年かだ。
わたしはそれを、ライブハウスで知った。
うすぎたなくて、音のばかでかい、アルコールとたばこの煙でべたべたしたフロアで。まばらに踊るひとびとは、不揃いのステップで、誰も誰かを気にしてなんていなかった。みんな体に入るぶんだけ音楽をいれて、そこに乗るぶんだけ体を揺らして。
そのとき、わたしのからだにも音楽が入ってきた。
「音楽が入ってくる」という感覚をはじめて知った。ピアノの先生に何回となく言われたことを、はじめて体で知った。そうして、それが言葉で感じようったってとても不可能だってこともわかった。
それいらい、音楽は、聞くというよりも「いれる」ものだ。

まったく、あのときのベーシストはすばらしかった。
バンドの音楽よりも、ずっと覚えている。わたしも、わたしの体のような道具を(それが何かは見当もつかないけれど)、いつか手に入れられたら、どんなに素敵だろう。

出番が終わったあとに、フロアでベーシストをみかけた。
ほかのバンドの演奏中で、声はかけられなかったけど。そうして、からだひとつで踊っている彼は、ベースを持っているときよりも、どことなくぎこちないように見えた。



散文(批評随筆小説等) ライブのこと Copyright はるな 2011-04-09 03:31:45
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