連れて行かない
salco
西日が明るい内に黙々と、母娘はガレージセールをしまい出す。陶磁器
がカシャカシャと、昨日と同じ音で擦れ合う。
週末と祝日の三日間、足を止める者は滅多にない。他家の廃品を漁るよ
うな構えでもない界隈、二時間に一人か二人、年配の主婦が
「あらぁ、きれいね」
と、挨拶を述べてから自転車のスタンドを立てるぐらいだ。それで、ス
ポードのカップ&ソーサーが一客で二千円だと知ると、讃辞だけを置いて
去る。その都度、
「あら、じゃあ頂いて行くわね?」
『ご自由にどうぞ』の段ボールの中だけが空いて行く。
娘は終始、客慣れた老母の傍らで俯いている。四十三になる。土気に腫
れ上がっていた顔は薬を変えて以来、清やかな造作を取り戻している。
それでも今朝は、母親が斜向かいの住民と立ち話をし出すと恐怖に駆ら
れて呼び戻した。
「知らない人に訊かないで! 知らない人に訊かないで!」
今は両の頬に手を当てて、台に並べた物たちを見つめる。通行人に向け
て提案され、見ず知らずの吟味に触れる家の物たち。もう要らないのだけ
れど捨てるには忍びない、よい物たち。
華美なディナー皿、有田の大鉢、用向きでなかった茶碗。談笑の夢を孕
むティーポット、居間の隅にずっと居た花瓶。いつかお父さんがコンペで
貰って来た、化粧箱に入ったままのセーター。
さ来月、引っ越す。不況で駅前の店を畳むことにしたから、十二年住ん
だ貸家から知らない町へ。知らない内にいつも、外の世界は変わってい
る。
でも一人では怖くて一歩も出られないのは同じなのだ。怖いのは苦し
い。無益な焦燥や自己嫌悪も。いつになったらそこから出られるのだろ
う。それがわからないのも同じだろう。
「これとそれとこれで、二万七千円。と、それと、これだからちょうど三
万円ね?」
昨日は長話のすえ無料の盆を持ち帰り、今日も来て、持ち合せもないの
にティーセットと漆器を買い占めたこのおばさんは、家に帰ると、きっと
衝動買いを撤回するのだろう。晩ご飯を食べた後か、お風呂から上がって
寝る時か、目覚めた朝か。肉厚の裏声で何度も何度も支払額を口にするの
が、まるでその為の言い訳のようだ。取り置きに応じた母の愛想笑いも半
ば虚ろだ。
ローゼンタールやウエッジウッドをデパートで買わないような人に、ロ
イヤルコペンハーゲンやウェンズレイで客をもてなす気はさらさら無い。
ひと時、そんなつもりを楽しむだけ。だから何の考えもなしに購入を決め
て、同じ軽さで反古にする。言い訳だけを自在に並べ、気が咎めるという
ことは微塵もない。怪物のような神経で生きている、怪物のひと。
――お母さんがいなくなったら?
ふと考えて、家に駆け込む。どうなるの? どうすればいいの? ひっ
そり暗い居間を突きのけるように階段を駆け上がる。動悸の反響で床の感
触が遠のく。自室に飛び込み、震える手で薬を放り込む。
こんな考えは、すぐに払わないといけない。思い出なんか、ひとつも残
りはしないから。思い出も、ここから一歩も出られはしないのだ。住まう
世界を優しい色に塗り変えてはくれない。時間だけが過ぎて行く。今を蝕
み時間だけが目の前を。