ドーラン
番田 


自分が忘れかけていたものを取り戻すようにして、生きて欲しいけれど、心はすでに瓦礫の下だ。私は一目散に家路を帰りたかった。放射能の拡散を目に留めるようにして、バラバラにさせられた家路を、死なずに帰りたいものだった。しかし何もする気も私は起きなかった。そこで押しつぶされないようにしたまま、無事にホームに降り立つことなどできるものだろうか。私は人の流れに押しつぶされそうになりながらも、辛うじて、スペースを見つけた場所に飛び込んでいった。そうして線路を揺れながら進んでいく電車の音と、南北線の緑色をした壁の前を歩いていった。何一つ迷うことなど無いと自分自身に言い聞かせては、私は歩いた。目に染み入るほどに眩しすぎたのだけれど、どこにも行かないというのであれば、冬の太陽の日差しには見あたらないのだとわかった。津波に押し転がされたオモチャのような車たち。行こうとしている場所にだけははっきりしているものだと思えた。何も見あたらない私はどこにいくのだろう。原発は火山のように噴火させられようとしていた。今まさに降りかかろうとしている、怠っていたことが我々の元へとやってきたというのに、なんて気まぐれな民族なのか。ため息として、街に存在させられたすべてのものは満ちていた。


我々に地震の被害がもたらされることはありえるのだろうか。無いとは言い切れない。地震は揺れるものであるからだ。火災のように、決して鎮火されることはありえないだろう。今回の地震は私個人としてはとても疲れさせられた。今日も会社にたどり着いたのは本当についさっきのことになってしまったからである。火は辺りへ燃え広がるばかり。事態がそう簡単なのではないのだというから、かなり難しいことになってしまったものである。人として、放射能の拡散から逃れるようにしている、薄いガラスの窓の向こうを流れていく、風だけが確かだった。


忘れ去られてしまった昔、私が降りたことのある六本木一丁目の、IBMの建っている場所の鉄の扉のことを思い出した。不安とあきらめを巨大な社会の中で、自分ができるであろうことに対して生きていくことに感じさせられながらも、あの頃の僕は就職活動に対して無我夢中だった。希望を抱いていたわけではない。何かがあるたびに宗教に走ろうとする我々にとって確実ではないのは、金の輝きだけなのであろう。偽善と汚い汗にまみれたよだれによって包まれているのが、この世の中だった。そうして、そのことに気づくことができずに私たちはその洗礼を受けているのである。そのことを忘れたと言うことすら見失っては生きていた。きっと不幸せな男なのであろう。どうかそのことに気づいて欲しいものである。



自由詩 ドーラン Copyright 番田  2011-03-16 01:37:52
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