誕生と死後硬直(スピード)
ホロウ・シカエルボク




高速で変換される血液の濃度が突っ伏したおれの身体中を貫通し熱を塗りつけてゆく、無限のヘアピンカーブに残された感情のタイヤ痕、生はいつもすこし呻き声のような音を立てながら疾走する、誰の為のものでもないレース、たった独りの高速のループ、目を開いていることが出来なくていくつもの事柄が零れ落ちてゆく、そいつらの恨み事が生体のノイズに隠れて軋むドアのような音を立てる、開けるな、開けるな、開けるな、そのドアを、そのドアには絶対に曝してはならないものばかりが積み上げられている、おれは体勢を変え天井を見る、天井には明かりだけがある、いつだって頭上には明るく照らすものだけが見える、そうだろ、思えばいつだってそんなことはあっただろ、だけどそんな確信は掻き消され、チューブの感触が脳髄を馬鹿にする、速過ぎる、減速しろと脳髄は信号を送る、スピードを落として、見なければならないものをちゃんと見ろと、掴まなければならないものをちゃんと掴んで来いと、だけど、だけど、だけど、チューブのなかを駆け巡るものにはそんな言葉は届くことはない、そうさ、速過ぎるのさ、いつだってあいつらは速過ぎるんだ、おれのしてきたことはすべて、やつらがずっと前に通り過ぎた道を犬のように鼻を鳴らしながらあとを追ってゆくようなものさ、なあ、そいつは決して追いつくことなんかできないんだぜ、それが判っていながら追いかけている、何故も何もない、やつらがそうして通り過ぎたあとを追うことを、おれは選択したからだ、追いつくか追いつかないかの為だけじゃない追跡だってある、その臭いを嗅がなければ、その温度を感じなければ、おれの見つめるものがすべて嘘になってしまう、おれの見つめるものが嘘になってしまわないように、おれはそのあとを追わなければならないのだ、やつらはいろいろなものを残してゆく、それがなにかを確かめている暇はない、それがどんなものか確かめていては絶対に間に合わなくなる、とりあえず拾い上げる、そばに落ちているものだけを、それを抱えたまままた走る、走っているうちにいくつものものが零れ落ちてしまう、残されたいくつかが鈍い光を放つ、そしてまた拾い上げる、落ちているものにはいくつもの性格がある、ずっとやつらを追いかけているとそのことが判ってくる、それはおれに様々な影響を及ぼす、手に取った瞬間にそれは始まる、零れ落ちたときにそれは終わる、始まるときと違って、終わるときには少しの時間差がある、手を離れた瞬間に終わるものもあれば、印象的な言葉のようにしばらく残るものもある、そして残ったものの中から、またいくつかが零れ落ちいくつかが生き残る、それはまるで自然界の生業のように、増殖したり激減したりする、おれの中には自然界のことわりがある、おれの中で幾つもの命が生まれ、食われ、滅び、増え、変体し、進化して、そしてまた喰らいあうのだ、おれの中には自然界のことわりがある、おれはひとりで大地のようなものなのかもしれない、そうだ、世界とは、状況を限定しない広がりのことに違いない、おれは考える、おれの体内にあるものは、おれの体内を突き抜けているのだ、その中にある運動の広がりは、おれ自身という存在を維持するために、広大なスペースを必要としているのだ、おれにはそのことが判り始める、すなわち世界とは、生命の果てしないレースだ、それは生まれたときに始まり、死ぬときに終わる、だからこそ、おれのスタートからゴールまでの間にも、無数の死が用意されている、いくつもが生まれ、いくつもが死んでいく、受胎や墓標や記念碑が、いくつも用意される、そして破壊されていく、瓦礫の山になったり、整えられた集落になったりする、そして生命は生まれ、また死んでゆく、胎盤と死後硬直がいつでも交錯している、おれはそうした生命に絡むものをなるべく掬いあげようと目論んで、チューブのなかを走るものが今どこにいるのかと鼻を鳴らしているのだ、どこに行った、まだ先にいるのか、温度が残っているチューブはどこだ、熱が残っている、タイヤ痕が残っている、煙を上げるチューブはどこなんだ、それは、オンタイムでなければ意味がない、必ずオンタイムでなければ意味がない、一秒あとには同じ状況がない、それは追いつくとか追いつかないとかいうことではなく、はたまた判るか判らないかということでもなく、必ず繋がらなければならない配線を繋げてゆくみたいに、継続されていかなければならないのだ、オンタイムでなければならない、必ずオンタイムでなければならないぜ、それは生命が生まれ死んでゆく過程とのレースだからだ、それは必ずオンタイムでなければならない、オンタイムでないものになんて何の意味もない、そこには冷めてしまった体温があるだけだ、おれは冷めてゆくものを憎む、死体でもないのに覚めてゆくものたち、そいつらの窺うような目つきを憎む、おれはそんなものを認めるわけにはいかないのだ、そんなことをしていたらおれ自身が見失ってしまうからだ、正確でなくていい、多少のズレはあってもいい、温度が冷めないくらいに間に合えばいい、それはドラムのプレイに似たようなタイミングだ、肉体のリズムを知り、大きくブレないように刻んでゆけばいい、それがオンタイムだ、リズムをキープし続けることが出来れば、見失うことがあったとしてもついていけなくなることだけは決してない、産声!新しいものが生まれた、はやく、そこへ行かなければならない、そして、死ぬ時を見届けなければならない、そのサイクルはとてつもなく速いのだ、瞬きの間に多分過ぎてしまうものだ、信じられるか、そんな風に生まれてくるものがあるのだ、信じられるか?そんな風に死んでゆくものがあるんだ、だから果てしなく追いかけて行かなければならないのだ、それはおれ自身の誕生であり、おれ自身の墓標だ、だから、おれはもう走れないと思ったことがない、もう走れないと思って、手近なテープを切ってレースから降りることを考えたことがない、そんなことを考えているうちにも、死と再生は果てしなく繰り返されているのだ、おれは自分の仕事に誇りを持ち、そして喜びを感じている馬車馬のように鼻息を荒くし、地面を強く蹴ってチューブの中を走る、チューブの、複雑な構成の内壁の中からいくつもの声が聞こえる、それが生命だ、それが生命だ、それが生命だ、それが生命だ!おれはその声をリフレインする、叫ぶ、その叫びはおれの魂をさらに加速させる、おれはチューブの中を疾走する、それが生命だと叫びながら、生命、生命、生命、生命、数え切れない誕生と死後硬直の中からおれはいったいいくつのことを学ぶのだろう?それを学ぶことが出来たとして、それが成就するのはいったいいつのことなのだろう?これは本当に果てしないループなのだろうか?これは本当にただ繰り返すだけのものなのだろうか?いくつもの事柄が形を変えている気がする、いくつもの景色が色を変えている気がする、ああ!生命なのだ、おれはずっとそう叫んでいたのではないか?内壁から聞こえた声は、おれの発する音の反響ではなかったのか?そう、生命、おれはそれを声にしなければならない、チューブの中ではない、指や声帯を使ってある種のものに変換しなければならない、それはおれ自身の発音によって報われなければならない、そこでは生命などという言葉で簡潔に片付けられてはならない、それは決まったやり方で作り上げられてはならない、すでに出来上がったものに依存してはならない、いまこのときの、オンタイムの、瞬間的なやりかたで構築されて吐き出されなければならない、それ以外はすべて嘘だ、それは冷めてしまった温度のようなものだ、そんなものには本当のことは絶対に語ることは出来ない、研磨されたものはすべて嘘だ、それは激しいスピードの中で構築されなければならない、机に肘をついて熟考されてはならない、文法によって構成されてはならない、これはなんらかの形ではある、でも名前が付けられるようなものじゃない、おれ個人によって形成された瞬間的な結晶のようなものだ、生命がそれぞれ秘めている核の形のようなものだ、おれはチューブの中を走っている、おれはチューブの中を走り続けている、おれが求めるものはずっとそこにあった、そしてこれからもそこから外れることはないだろう、そしておれがどこかに向けて発音出来なくなる時が来るとしても、それはしばらくの間変わらず走り続けるだろう、おれの足音のように受け止めて欲しい、おれのうわ言のように受け止めて欲しい、それにはちゃんとした名前をつけて欲しくない、そんなことのためにおれは発声をしているわけではない、これはかつて生まれてきたものたち、かつて死んでいったものたちのレコードのようなものなのだ、それはひとつの名前に集結するようなものでは決してありえない、これがどんなものかなんて考える必要なんてない、ただ知ってくれればいい、おれが発音することによって、この中のいくつかのものは浄化し、また生まれて汚れて行くだろう、おれは自分の魂に出来る限り、そのことわりを知ってみたいだけ、そのことわりを感じてみたいだけ、だってそれはおれの中で起こっていることであるけれど、おれのまったく知らないスケールの中で起こることであるからだ、おれはチューブの中を走り続けている、血流のスピードは見えるか、血流の尻尾は見えるか?血流はいない、血流はどこにもいない、やつの尻尾を掴まなくてはならない、おれのあとしばらくの生命の営みの中で、果たしてそれを見ることが出来るだろうか、おれは追いかけなければならない、おれの手の中でいくつものものが零れ落ちて行く、いくつものものが生まれて行く、いくつものものが残り、いくつものものが忘れられてゆく、そうだ…おれはあらゆるものを拾うことをやめた、あらゆるものを抱えるのをやめた、零れ落ちてゆくものたちが残すものについて考えることをやめた、すべて見える、すべて感じる、すべて知ることが出来る、すべてを覚え、そして忘れることが出来る、それはいくつもの誕生と死後硬直と同じように行われればいい、そしておれは走り続けていればいい、おれはただおれのままで、あるものをあるように受け止めて行くことだけを考えればいい、すべてのものがおれに触れて形を変えてゆく、おれはその中で、その変化と同じように存在している…



それが、スピードなんだ!




自由詩 誕生と死後硬直(スピード) Copyright ホロウ・シカエルボク 2011-03-06 22:02:34
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