ベートーヴェン交響曲第3番「英雄」
アマメ庵

退院してからというもの、自分でも呆れるほど堕落した生活をしている。
今朝にはもう、痛みは殆ど消えた。
我慢できないようならと、処方された痛み止めは一度も飲んでいない。
それでも、左手に大袈裟に巻かれた包帯は、否応もなく行動を制約する。

夕方には、酒を飲む。
そして、早々に眠る。
美味いとは思わない。
退屈なだけだ。
寂しいだけだ。
酒なくしては、時間と対峙できない。

この部屋に、こんなにも長時間滞在するのは初めてだ。
普段は、仕事の都合もあって、週に1度立ち寄る程度だ。
だから部屋には何もない。

テレビを点ける習慣がない。
どうせ面白い番組などやっていない。
テレビなどは、赤いインジケーターランプを灯した置物に過ぎない。

何年も使っているノートパソコン。
少し前は、熱心に音楽を聴いた頃もあった。
異国の詞で唄われたブラックミュージックを好んで聴いていた。
白いセダンにアンプとウーファーを乗せて、外にも聞こえる大音量で徘徊していたころもある。

ぼくは、何を失ったのだろう。
あんなにも旅に出ることを欲したのに、今は、内環状線と新御堂筋と言う大きな道よりも向こうには足が向かない。

この街は、ぼくが怪我をして左手が不都合でも、あらゆる形でぼくに食料を与える。
忌々しいカップラーメンなどは消えうせて、いっそぼくに飢えを与えて欲しい。
こんな堕落な男は、飢えて痩せるが相応しい。
しかし、ぼくの僅かな財布の中身でも、一と月は喰える。
ぼくは、忌々しいカップラーメンを買ってしまう。
結局、自分が弱いからだ。

マクドナルドの店員さんは、包帯に気がついて、席までトレイを運んで呉れる。
左手どうされたんですか、などとは訊かない。
ごゆっくりどうぞと、親切に言う。
ありがとう、そう言ってぼくも笑顔をつくる。

ぼくは、僅かな金と、はしたない欲求のために生かされている。

ノートパソコンに、ベートーヴェンの曲が記録されていた。
交響曲第3番「英雄」。
何もない部屋。
無意義な生活。
ぼくは、ノートパソコンに付属した2ワットのスピーカーで繰り返し、繰り返し「英雄」を流す。
ぼくは、この交響曲が何を具現しているのか、どう言う目的で作られたのか知らない。
しかしこの曲は、無味乾燥な空間に、無意義な時間に、彩りを与える。
さも有意義なものであるような、気持ちにさせる。

ヴァイオリンの掻き立てる交響曲が何を意味するのか、ぼくは知らない。


散文(批評随筆小説等) ベートーヴェン交響曲第3番「英雄」 Copyright アマメ庵 2011-02-13 00:38:23
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