『U^ェ^Uへの反論』 蛾兆ボルカ
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=226473
1・「そうまでして」という語は、それ自体が「頑張って」の類義語です。あなたが上げた、あなたに相応しい例で
いうなら、「そうまでして女の尻を追い回す」とは、「頑張って女の尻を追い回す」ことであって、「そうまでし
て頑張る」では単なる重複です。
違いますね。ボルカさん。
まったく違います。
いやしくも詩を書くものが「そうまでして」を「頑張っての類義語」程度に理解するなんて恥ずかしすぎますよ。
むかしむかし『若者たち』という国民的支持を得た連続テレビドラマがありました。
このドラマの主題歌は感動的です。広く国民に口ずさまれました。
ボルカさんは知らないでしょうからさわりを披露しましょう。
「若者たち」
藤田敏雄作詞・佐藤勝作曲
君の行(ゆ)く道は 果てしなく遠い
だのになぜ 歯をくいしばり
君は行くのか
そんなにしてまで♪
「そんなにしてまで」も「そうまでして」も、ほぼ意味は同じでしょう。
そしてここで歌われているのは「そうまでして、どうして頑張るのか?」という「若者たち」への問いかけです。
ボルカ大先生のいうように、
「そうまでして頑張る」では単なる重複です。
どころじゃないのです。
「そうまでして」には、「頑張る」ことへの問いかけがあるのですよ。
それぞれの人たちの「頑張る」ことの中身への問いかけがなされているのです。
だから『はやぶさ、そうまでして君は』というタイトルの「そうまでして君は」は、「なぜそうまでして君はやる
のか」という問いかけなんです。
ひょっとしてと思い、著者の川口淳一郎氏の略歴を調べてみると思ったとおりドラマ『若者たち』を熱狂的に迎え
入れた世代の人でした。
著者は1955年生まれでした。『若者たち』が爆発的な視聴率をとったのが1966年から1970年にかけて。
おそらくタイトルの「そうまでして君は」は、『若者たち』の影響を受けているのでしょう。
どこが「そうまでして頑張るでは単なる重複」なのですか。
あなたの例示した文脈から言えば、
「そうまでして女の尻を追い回す」とはたんに「頑張って女の尻を追い掛け回す」のではなく、
「宝石を贈ったり、朝夕車で送り迎えしたり」という具体的な行為への「なぜ、そんなにしてまで」という問いかけなんです。
ボルカさん、失礼ですがこの程度の語彙の理解しかできないからあなたの詩はもうひとつ奥行きがないのですよ。
2・私の文章のなかで「人口知能」とは、フィードバック機能を持つプログラムのことであって、ハードの出来不出来はあの文脈では関係ありません。
人工知能とフィードバック機能とは違いますよ。
フィードバック機能とは、たとえば自転車のクッションでもフィードバック機能です。
ある衝撃(入力)に応じて、それに見合った弾力(出力)を発揮する。
いわば非常に広汎な人文・科学分野で応用されているもので、それを人工知能といっちゃえば、
運動靴も人工知能ということになる。
無理なこじつけです。
それにわたしはハードがどうのこうのなんてひとつも問題にしていなかったはず。
どこを読んでるの?
あなたが人工知能(フィードバックプログラムじゃありませんよ!)が使われているというから、それの否定のためにそこまで踏み込んだだけでしょう。
3・単純な事実として、アトムは私が書いた通りの物語なのですが、あなたが単なる駄菓子とみなしても私は気にしません。あなたにとってはそうなのでしょう。
アトムは[私にとって]私が書いた通りの物語なのですが
と訂正していただければ、異論はありません。
4・あなたはハヤブサの技術者が、自分自身の頑張りを「そうまでして僕らは」と語っているのだと解釈していますが、あなたならそうするのでしょう。私ならしません。
(1)でご指摘したように、さまざま根拠から、筆者が自分たちの思いをハヤブサに託して語っていることは間違いないでしょう。
もっともあなたがどのように文学的に解釈しようとそれはあなたの脳内世界としてはそれでいいのですが、いやしくも言葉に拘わる者なら、ことばの表層をなでるのではなく
もう一歩踏み込んでもらいたいものです。